ある朝、習い始めて7年目(のハズ)のヴァイオリンの練習が一段落してから、お茶でも飲もうと思ってキッチンへ行ったところ、妻がいた。
「いつも下手くそなヴァイオリンの音を聞かせていて、すまないねぇ」
と詫ておいた。そりゃそうだ。自分も言うのも何だけれども、本当に下手くそなんだもの笑 ここ本当に笑うところ。
それに対して妻は、
「ヴァイオリンって難しいよね」
と一言。
ふうん、そうなのか。と思った。
確かにヴァイオリンはとにかく難しい。
何が難しいって、きれいな音を出すのがまず難しい。左指の弦の抑え方から、弓の動かし方から、構えから、とにかくきれいな音を出すためのパラメーターが多いし、そのひとつひとつの細かいパラメーターが習得が困難な身体技法なのであるからして、きれいな音を出すだけでも一苦労。ふぅ。
そして、「きれいな音」の範疇に入るのかもしれないが、とにかく正確な音程をとることが難しい。
ピアノのように鍵盤叩けば(調律さえきちんとしていれば)、きちんとした平均律の音がでる、という楽器とは根本から違っていて、自分で音/音程を作る、ということが何にもまして必要不可欠。だから、きれいな正弦波が出せたとしても、音程があっていなければ、曲を弾いた際には耳障りもいいところだ。
音程を自分で作りながら、リズムや音の強弱、ビブラート等々、音を構成する様々な要素に配慮をするということが、すなわちヴァイオリンを弾くという手順そのもの、だ。
幼児期よりヴァイオリンのレッスンを受けていた人々は、ヴァイオリンを弾くという手順を無意識のうちに身体技法として習得できるわけだが、私のように40代半ばで始めた私のような「レイトスターター」は、弾くという手順を言語化し一度意識の上にのぼらせて、そしてその上で肉体に覚え込ませるということを反復練習していかなければ弾けないのだ。
くどくどと言ったが、妻が言っているように「ヴァイオリンは難しい」のだ。
本当に難しい楽器だと思う。
ギターなんかはかなり簡便化、大衆化されている気がする。
だから、「ヴァイオリンは難しいよね」というのは、まさにその通り!なのである。
しかし、この「ヴァイオリンは難しいよね」という言語的メッセージを解釈していくと、様々な可能性が読み取れる。この解釈の可能性(あくまでも可能性だ)について考察をしたいということなのだ。これが本稿の目的笑
「ヴァイオリンって難しいよね」と言われた場合、一義的には「ヴァイオリンは難しい→簡単に上達するわけがない→上達しなくても仕方ない」という一連の意味の流れとして解釈できる。
そう考えていくと、
「上達しなくても仕方ない」
というところをどう解釈するかでメッセージの解釈は物凄く変わってくる。
例えば、「上達しなくても仕方ない」を否定的に解釈した場合。
要するに「お前がどんなに努力しても無駄だ」ということ。すなわち「あなたが努力していることに意味はない」という解釈。
そして、「上達しなくても仕方ない」を肯定的に解釈した場合。
当たり前だが、「難しいけど、ずっと諦めずに継続的に努力を続ければうまくなるよ」という隠れたメッセージを読み取ることができるはずだ。この場合は「あなたの努力には意味がある」というメッセージに展開されるわけだ。
この場合、妻がどっちの意味合いで言ったのかは、その微笑の裏に隠れてしまい、私には判別不可能だった。後者であることを信じたい笑
まあ無理とは知りつつ、嘘でもいいから、お世辞でも何でもいいから、
「上手くなっているよ!」
という、肯定的な意味でしか解釈できないような言葉で褒められてみたいなあと溜息をつきつつ空を見つめる53歳の中年なのであった。。。とほほ。