BearLog PART2

暇な中年の独り言です

何が「リアル」を担保しているのか

 こんな記事に衝撃を受けた。

www.technologyreview.jp

 結局AIを使えばデジタルデータなんて、どうにでも加工できるし改竄できるということの、もっともインパクトのある事例だと思ったわけだ。

 まあ昔から質の悪いアイコラなんていっぱいあったけど、AIを用いて今までのアイコラとは全く異なった超絶凄いレベルで精緻にかつ簡便に「ヌード化」ができるようになると、そりゃあ本当に軽い気持ちでのイタズラを越え、人類の想像を遥かに越えたレベルでの悪用が可能になってしまう、、、のだろうなあ。

 で、思ったわけだ。

 デジタル化された画像データの「リアル」って何によって担保されるのだろうか?

 そんなことをツラツラ考えているうちに、「そう言えば『言葉』ってのは、画像のデジタル化が可能になる遥か昔から、現実に発生していることを伝えるべく利用されていたツールである。しかも簡単に複製可能であり(パロールとしての言語の複製は「芸」なのか「オーディオ」なのか、結構大変だが、文字としての複製は極めて大昔から行われているわけだ)、そしてそこでの「リアル」というのは、何が保証しているだろうか?と。

 言語での「リアル」の担保を考えることによって、「デジタル化された画像」の「リアル」の担保について何か示唆が得られないかと考えたわけである。

 世の中に流通している言語にはいくつかのメタデータが紐付いていると考えるのが妥当だろう。つまり、「誰が言っているのか」とか「メディアは何なのか」とか、まあそういったこと。

 本屋の小説コーナーにある本が述べていることはあくまでもフィクションを成立させる言葉であって、事実を伝える言葉ではないということは、多分それが装丁や書肆のどの棚にあるか、というメタメッセージによって共通の理解を得ることができる。新聞に書いてあることは多分真実?なんじゃないかな、的な。

 逆に言えば、言語は言語単体として存在するとき(それこそトイレの落書?)、そこで書かれるものごとが「リアル」なのか「リアルでない」のかを判断することはできないということなんだろう。

 ネット上にあるデジタルデータの信憑性をどう担保するかというテクノロジーブロックチェーンだというのは分かるが、ブロックチェーンが担保するのはあくまでもデータの出所とその取引履歴(で、いいんだよね?)だけであって、ブロックチェーンによって取引履歴が保証されているデータが、実際に「リアル」であるというところまでは担保されない。こういう取引履歴だったら、「リアル」なんじゃね?的な担保の仕方にとどまるような気がする。

 その意味では、ブロックチェーンも書肆の棚も、レベルとしてはあまり変わらないということになる。

 デジタルデータにおいて、本当に本当の「リアル」を担保するのは何なのだろう?

 この考察は続く(筈)