伊藤計劃の「虐殺器官」については、私がいちいち言うまでもなく名作であることは明らかだ。
以下微妙に「虐殺器官」のネタバレ的な話になるので、ご注意下さい。
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以前から妄想していることなのだが、人を動かす究極の「言葉」というのがあるんじゃないかと思っている。例えば、モンティ・パイソンに「殺人ギャグ」というスキットがある。「虐殺器官」のテーマはもろにそこだ。
まあ下記のリンクを観て下さい。
「虐殺器官」のオリジナルなアイデアはここから引っ張ってきたんだろうと思うのだ。
「Silly walk」も引用されているから、明らかな話なんだと思うんだけど。あまりこれについては言及されていない気がするけど、それは自分が不勉強なだけ?な気もする。世の中は広いから。
ちなみに「バカ歩き」のスキットはこちら。本当に便利な世の中ですなあ。
「バカ歩き」はいいとして、「Killer Joke」(別にJokeじゃなくてもいいんだけど)のように、それを耳にしただけで、読んだだけで、人々が死んでしまう(う〜ん、別に死んでしまわなくてもいいけど)ような、何か特定のアクションを物理的に取りたくなってしまうような音声、もしくは文字列といったものは存在しないのかな?ということをずっと考えている。言ってみれば究極の言葉。
自分がそれを考案しただけで、すごいじゃないかと思うのだ。
まあ無理だろうけど。
とはいえそのことを小説世界で展開したのが、言うまでもなく「虐殺器官」だったと思うのだ。だからこそ、自分にとってはあの小説は面白かった。正直に言えば、面白いというよりも、「先にやられたっ!」という感じである。だからこそ、モンティ・パイソンが引用されているだけにとどまらない魅力があったわけなのだ。伊藤計劃よ、安らかに眠れ。。。
まあ考えてみれば、「聖書」や「コーラン」、果ては「共産党宣言」「資本論」、といったところは、人々に何らかのアクションを引き起こさせているわけなので、私が考えていることに近いものは既に存在するのだと言うこともできるような気もする。
人の心の中に残って、その人に有無を言わせずに何らかの行動を誘発させる因子となってしまう言葉。それが「死」をもたらすとすれば、エボラ出血熱よりも凶悪で凶暴で質が悪いものになるはず、だ。
そういう、究極の言語(音声もしくは文字列)というのはあるのだろうか?
私も何となく直感的にはそう思う。
ということで、これは引き続き考えていく問題なのだwww
伊藤計劃よ、見ていてくれよ(と訳もなく気勢を上げるのである)。