新型コロナ禍での生活をマメにしたためようと思っていたのに全然やっていないのにふと気がついた。考えてみれば、家族ジョギングも、娘の塾が始まってしまったこともあって、行かなくなってしまった。
やると言ったのにやっていないことばかり(苦笑)。自らを恥じるのみ、である。そんな中で、ちょっとヴァイオリンについては気付きがあったので、忘れないうちにここにメモしておこうと思う。
一昨日のこと。私の前にレッスンをしている小学生の様子をすみっこで見学していたのだが、先生が「弾きながら、あっちこっちを見れるかどうか、それを意識してご覧」ということをおっしゃっているのを小耳に挟み、を?と思った。
自分を省みると、弾いている間中、頭は固定されていて指板の上で弦を抑える左手の指先か、弦と弓の接点か、そうでなければ楽譜に目を落とすか。それしか頭の位置の選択肢はない。
自分のレッスンの番になったとき、さっそく先生に伺ってみた。あちこち見れるようにするとは? そもそも頭の位置とは?
先生がおっしゃるには「実は頭が動くくらいでないと駄目なんです。顎は顎当ての上に軽く乗っているような感じです。だから、横を向いたりするときは必然的に左手で支えるようになる。ヴィブラートをしっかり書けたいときは、顎と肩でヴァイオリンをしっかり固定して、腕、指、手首の力を抜いて引く。要するに状況に応じて、頭の位置だって変えていけるんです」とのこと。
なるほど、確かに。自分の頭は常に固定されているけど、巨匠たちのスタイルを見てみると、例えば、
(以下は適当に検索して出てきたものなので、しっかりと色々な方々を分析したみた結果ではないということはお断りしておく。)
Jascha Heifetz - Mendelssohn Concerto (3)Mov
首が大きく動いているというよりは、上半身が状況に応じてフレキシブルに動いているというかんじであろうか。
みどりさんはかなり大きく首が動いているかんじ。しかも顎当てには顎ではなくて、頬があたっているときもあるし、かなりフレキシブルに首が動いている。
ハイフェッツは割と不動の姿勢のようにも見えるが、首というよりも上半身がフレキシブルに動いており、五嶋みどりは、首も動けば、上体も動く。諏訪内晶子はその中間くらいか。
というように、ヴァイオリニストによって色々なパターンがあることが一目瞭然。
とはいえ、一つ明快なのは、無駄な力が入れず、フレキシブルに体を動かせるようにしておく、ということか。
分かってはいるけどうまくいかないのが現実。