BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 モンテッソーリ教育について学ぶ

 今日、吉祥寺の「おばあちゃんの玉手箱」という子供用の玩具屋兼絵本屋さんがあるのだが、そこで、「吉祥寺こどもの家」の百枝義雄先生の講演を聞いてきた。個人的には非常に興味深かったので、備忘録を兼ねて、ここに気付いたことを書き記しておきたい。

  1. マリア・モンテッソーリローマ大学医学部に初めて入学を許可された女性ということで一躍名を上げたらしい(イタリアの女医さんとしては6人目らしい)。つまりはもともとはお医者さん。お医者さんから転じて教育者になったそうな。
  2. モンテッソーリ教育では、「子供は大人になることを使命とし」「子供は自分で自分のことを『育てる』力を持って生まれてくる」としている。
  3. よって、大人は、この子供が持つ「自分を育てる力」の邪魔をせずに、全面的に信じて、それを支援しなければならない。
  4. そして、大人は、子供に対して常に敬意を持って接するととともに、前項を行うために「できることは全て任せ」なければならない(とはいえ、この「できること」を判断するのは、絶えざる観察によってしかできないというのが、私の実感だ)。
  5. 子供は、自らがどの時期に何を練習すればいいのか、自ずと分かっている。そのため、その時期に適切なモノを準備しておく必要がある。
  6. とはいえ、モノを準備するだけでなく、人との関わり合いは両親を真似て学んでいくもの。よって、子供に対する両親の影響力は大きい。すなわち、常に子供から見られていることを意識し、常に範となることを意識すべし(といっても、できることしかできないし、できないことは逆立ちしてもできない)。

 といったところを、いろいろなところへ細かい脱線を繰り返しながら、エッセンスとして主張されていた(と、私は理解しているので、これが正しいかどうかは分からない。少なくとも私の理解の中では正しいのだが(笑))。
 なるほどなあと思う。
 やはり、子供を「信じてあげる」ことが何よりも必要なんじゃないかなあと思っている。別にきれい事ではなくて、何がどうあっても、自分の子供を信じることは本当に大切だ。人は信頼されて初めて人として成立する。子供が最初に接する両親の信頼なくして、その子供がきちんとした大人になれるわけがない、というのがはっきりと腹に落ちた。それだけでも、今日この話を聞いた甲斐があったというものだ。
 とはいえ、悪戯の度が過ぎると少々腹にたつこともないわけでもないけど、でも、それはこの子が成長するために必要なパスなのだと思って、にこにこ笑って眺める余裕を持たんといかんってことなのだ(ってできるのか?!)
 モンテッソーリ教育というと「ピークタワー」とかの遊具を思い浮かべる方々も多いかもしれないが、百枝先生がおっしゃるには、「別にピークタワーなんかどうだっていい。はっきりいって、きれいに積めなくても何の問題もない」とのこと。要するに、子供の中にある「自分を育てる力」を信じて、できるだけ子供が自分の力でできるように任せていくことが重要。これがモンテッソーリ教育の骨子のようだ(と、私は認識している)。
 考えてみれば、これって。
 企業の経営によく似ている。社員の自発性を信頼し、できることは全部任せる。経営者は社員の働きやすい環境を整備する……。最近はやりの経営理論によく似ているような気がする(笑)
 子供だけに限らず、人の自発性を重んじることはかように大事なのだ。
 もう一度確認しよう。私は娘を信じている。勿論妻も信じている。
 要するに家族を信じている。そして、友人を信じている。