BearLog PART2

暇な中年の独り言です

ひとつの家族のクロニクルとして

千住家の教育白書 (新潮文庫)

千住家の教育白書 (新潮文庫)

 最近、この手の「教育」というような二文字がついていると、ほぼ無条件に買ってしまうという悪癖が身に付いてしまった。いかんですなあ。
 とはいうものの、本書は別に「教育白書」ではない。博、明、真理子という三人の芸術家を輩出するに至った千住家のクロニクルである。何で「教育白書」などという題名をつけたのかはちょっと理解に苦しむところではあるが。
 実は、我が家には、親からの借り物であるが、博さんの「ウォーターフォール」シリーズが二枚ほどある(一枚はリトグラフだよ)。
 このシリーズを見た時は、本当に衝撃だった。
 日本画という範疇で、この抽象度は何だろう、すごい、と。
 口をあんぐりあけて見てしまったわけである。ということで、親がたまたま手に入れたのを見て、これ幸いにと借りているということなんである。とはいえ、新居に引っ越してから、まだ物置に入れっぱなしになっており、きちんとかけてはいないのだ。はやく飾らないとバチがあたりそうであるw
 それはともかく。
 ひとつの家族のクロニクルとして読んだとき、なんだろうなあ、クロニクルとしては微妙なバランスを失していて、ちと辛い。というのも、著者の文子さんの記憶をただ文章化しているむきが強く、そこにクロニクルを成立せしみているような俯瞰的な視点とか、ある種の客観性が見受けられないからだ。
 じゃあ、「教育論」かというと、筋道立てて子供の教育を論じている訳でもない。その理由は前述の通り。
 それはともかく。
 本書には、その母親の記憶、そうだなあ、本当に子供を愛する母親の記憶が持つ眩しいばかりの「輝き」がある。その「輝き」は、どれだけ真面目に子供と向き合ったかという証左なのではないかと思う。そのかたくなな姿勢と深い愛情が、ただの記憶の垂れ流しに近い文章を人に読ませるに足るものへと昇華させている。
「はいはい」と言って、いい加減に娘と向き合うことの多い私としては、痛いところを突かれている訳である。
 あなたは本当に父親として、真摯に娘さんと向き合っているのですか?
 そう尋ねられている気になる。
 猛省、である。

 書物としてどうかというところはおいておいて、私に猛省を促したという意味では、非常に感謝しなければならない、という意味で、よい本なんであるw