BearLog PART2

暇な中年の独り言です

「有害指定同級生」の衝撃

 「有害指定同級生」という漫画がある。全3巻。

有害指定同級生 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

有害指定同級生 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 
有害指定同級生 2 (ジャンプコミックスDIGITAL)

有害指定同級生 2 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 
有害指定同級生 3 (ジャンプコミックスDIGITAL)

有害指定同級生 3 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 何を今更、である。

 ここ最近、この「有害指定同級生」にハマっている。

 少々前の作品であるが、たまたま発見してしまい、3巻を大人買いして一気読みしてしまった。

 こういうような、妻にも娘にも見せたくないような微妙な作品は、電子書籍なる文明の利器が出てきて本当に助かったとしみじみ思う(オイオイw)。

 Amazonにある作品紹介をそのまま引用すると、

新学期。真面目なクラス委員、八橋みやこの隣の席になった都城玲華が、パンツを穿いていない事が発覚。みやこは玲華を健全な女子高生へと更生させる事ができるのか――!! 青少年に悪影響を与える、反社会的ギャグ!!

 実際、これ以上でも以下でもない。

 この八橋みやこちゃんは品行方正を金科玉条とする優等生、都城玲華はやたらと性欲が強い女子高生という、ありそうでなさそうで、なさそうでありそうな、設定。

 この二人の会話が物語(があるとするならば)を駆動する。

 要するに漫才形式の漫画なんである。言うまでもなく、ボケは都城玲華、ツッコミは八橋みやこ、という分担であるが、たまにこれが逆転することもある(が、かなり稀)。

 絵柄についても二人はちょうど正反対に描かれるのだが、前提として二人とも「可愛い」ということになっている。

 八橋みやこはほんわかタイプで巨乳、都城玲華はクール系で巨乳ではない(ただしモデル事務所にスカウトされた経験ありという設定)、という感じ。3巻の表紙を見て欲しい。左側が都城玲華、右側が八橋みやこ、なんである。

 この漫画の大きな特徴は男子が出てこないということに尽きる笑(これについては詳細は後述)。登場人物もかなり少ない。ほとんどの話がこの二人だけで完結してしまう。

 登場人物が少ないことからも想像がつくように、勿論、学園群像劇というわけではない。

 成年漫画的な「エロ」かというと、そこまで劣情を刺激するような描写は多くはない。無いかと言うとそういうわけではないのだが、劣情を刺激することのみを目的とするようなコマはほぼほぼ出てこないのだ。

 単に、二人の女子高生が出てきて、会話を続け、その中でオチらしいものが出て、1話で完結するというものの、と言いつつも完結というほどきっちりとした終わり方でもない。

 強いて言うと、都城さんが抱える強い性欲からくる勘違い(のようなもの)や奇行をめぐり八橋さんが「ツッコむ」「呆れる」「矯正しようと努力する」というのが繰り返されるだけなのだ。

 う〜ん、何でこんな単純な構造を面白いと感じてしまうのか? 確かに個別のギャグはシモネタとしてはよく出来ているとは思う。ただ、ことの本質はそれだけではないような気がするのだ。う〜ん(と腕を組んでみる)。

 しばし長考。制限時間一杯か。

 ということで、ひねり出してきた仮説なのであるが、次のようなものである。

 この「有害指定同級生」という漫画はモンティ・パイソンの有名なスキット、「スペイン宗教裁判」に近い、というものだ。

 「スペイン宗教裁判」のスキットとはどんなものか。いい時代になったもので、youtubeをあさりさえすればすぐに出てくる。


Monty Python Spanish Inquisition Part 1

 

 まあこんな調子で呼ばれてないのにスペイン宗教裁判が出てるわけだ。これって、この赤い服を着た司祭たちが数に弱いということと、頓珍漢な拷問をやってみたりとか、そういう滑稽さもあるのだが、とある状況に、まったく想定していない「異物」が紛れ込んでくるという面白さだと思うのだ。

 ヴィクトリア朝風の一軒家に突然赤い服を着た司祭たちが「Nobody expects Spanish Inquisition!」と叫んで乱入してくる……たったそれだけのことである。考えてみれば、同じようなパターンは日本にもあった。植木等を要するクレージーキャッツの「こりゃまた失礼しました!」というパターンである。


こりゃまた失礼しました。!!!ドン !!

 

 あるシチュエーションにおいて、その存在が想定されえないものが出てきて、それが居座ることの可笑しさ。これと近いのではないかと思ったのだ。

 性欲の強い美形の女子高生というのは、冒頭にも書いたが、「ありそうでなさそうで、なさそうでありそうな、設定」なのだが、明らかに「いない」だろう。だからこそ、「スペイン宗教裁判」や「こりゃまた失礼しました」のようにある種のシュールな笑いを醸し出す。

 それを「不条理」と呼んでしまうのはあまりにも安易だろう。自分なりに解釈すると、ある状況下において、その状況における論理的帰結から乖離したもの(想定し得ない)ものが存在するとき、人は笑ってしまうのだ。

 そして、ここまで書いてきて気付いたのだが、「有害指定同級生」「スペイン宗教裁判」「こりゃまた失礼しました!」の三つの作品においては、上記の共通点があるにもかかわらず、決定的な違いがある。

 「有害指定同級生」は、登場人物二人全てが「高校」というシチュエーションにおいては、「想定し得ないもの」であると同時に、その「想定し得ない」もの同士が、漫才を繰り広げる。よって異物としての都城さんと八橋さんはお互いを異物としては扱っていない(ただし、八橋さんは都城さんを変態としては扱っているが、それはここで言う「異物」ではない)。

 「スペイン宗教裁判」は司祭たちという異物はあくまでも異物であって、司祭以外の登場人物を司祭を許容しておらず、明らかに司祭を異物として扱う。しかし、司祭は自らの論理に従って、その他の登場人物にからみ、関係を持とうとする。

 「こりゃまた失礼しました!」では、葬儀屋は異物として病院に入り込み、異物の論理で周りの人々を辟易させ、「こりゃまた失礼しました!」という捨て台詞を吐いて退場していく(コントが終わる)。異物は異物として状況から排除されて終了する。

 よって、この中で異物が異物として認識されつつもその異物性を許容してしまうというある種の「シュールさ」で言えば、「こりゃまた失礼いたしました!」→「スペイン宗教裁判」→「有害指定同級生」というようにエスカレートしていくのがよく分かるというものだ。

 そして、ここで冒頭に述べた「男子が出てこない」というところが効いてくるのだ。これだけの特異性を担保するのは明らかに男子の不在、なのだ。

 男子が出ただけで、思春期男子の「女子に対する目線」が作品内に張り付いてしまい、その目線が二人を異物としてではなく、「男子生徒の劣情の対象」という存在に貶めてしまい、思春期的な暑苦しいリアリティを付与してしまうからだ。

 男子の不在があるからこそ、シチュエーションにおける論理矛盾を孕んだ異物が作品空間の中を自在に動き回ることができるようになるのだ。男性の不在が二人の自由度を担保しているというのが、この作品を理解する上での非常に重要なポイントだと自分は考えている。

 男子の不在により、シチュエーションから想定し得ない異物を捏造し、その異物同士にシモネタ中心の漫才をやらせるとは……はっきり言ってメタフィクションと言ってもいいだろう。

 そういう意味では、漫画をめぐる環境は確実に進歩?しており、想定し得ないものたちが想定し得ない論理で会話をなし、物語を駆動するという、メタフィクション化した漫画が普通に商業誌に連載されるという奇妙な事態を招いた……ということなんではないだろうか。と考えてみた。

 どうだろう? 牽強付会だろうか笑