BearLog PART2

暇な中年の独り言です

父のこと(その1)

 2021年11月7日に父が亡くなった。

 久しぶりの更新だけど、父のことを書こうと考えている。ここ数週間に起こったことを忘れてしまわないうちに書き留めておかないといけないような気がしているからだ。

 11月6日土曜日はいつものように平穏な休日だった。ヴァイオリンのレッスンに行き、ヘンデルソナタバルトークの44のデュオを習い、夕方は荻窪音楽祭のユースアンサンブルコンサートを聞きに荻窪公会堂までのこのこ出かけていった。ユースアンサンブルコンサートは、すごく良かった。ああ自分もあんな風に弾けたらいいなあと思いながら帰宅したのをよく覚えている。

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 翌日もごく普通の日曜日だった。ごく普通に恒例の水回りの掃除をして、ベッドに入って、いつも通りにあっという間に眠りに落ちた。このままいつもの通りに朝目覚めるはずだった。早くに起きれればジムに行き、起きれなければそのまま朝食、と成る筈だったのだが、いつも腕に着けたままで寝るアップルウォッチがブルブル震えて目が覚めた。もう朝?いやいや今日はアラームをかけていない筈だがと思い、眠い目をこすりこすり画面を見ると「K病院」と出ている。

 嫌な予感がした。

 電話に出ると看護師さんからだった。

 話は前後するが、父はもうかれこれ3年くらい前から近所の高齢者施設に入居している。認知症がかなり進んでおり、母親も高齢であることから、家族だけで面倒をみていくのが難しいと判断したためだ。やむを得ない処置だったとは思うが、自分の中では今でもわだかまりが残っていないと言えば嘘になる。

 その施設で誤嚥性肺炎になり、K病院に2週間前に入院していたのだ。こんな時間にそのK病院から電話があるのだから、いい話なわけがない。

「お母様にはご連絡したのですが、お父様の血圧がかなり下がっておりまして、念の為ですが、病院の方へお越し頂けないでしょうか」

 とのこと。承知した旨を伝え、すぐに電話を切った。

 時間を確認すると午前1時半だった。

 ああ今日は妻の誕生日で、お祝いに大奮発してグランドハイアットのオークドアを予約したのにな。行けるかな。久しぶりに美味いステーキを食いたいし、美味いワインも飲みたいな。なんて不埒なことが頭を過る。

 とにかく急ぎ身支度を整えて家を出た。幸いにして病院は家から歩いて5分程度のところある。

 病院へ行くとまずどこから入っていいのか分からなかった。入口を探すべくうろうろしていると母もやってきた。仕方ないので病院の大代表電話にかけてみたところ、当直の人が出てきてすぐに正面の玄関を開けてくれた。

 そのまま父の病室のある8階へ急いだ。

 8階に着くとエレベーターホールには看護師さんがいてすぐに検温、異常ないことを確かめた上で病室へ急いだ。

 呼吸器を付けられた父は既に意識はなかった。血圧は上が90くらいに下がっており、明らかに状態は悪そうだった。

「面会時間は15分だけなんです」と看護師さんが申し訳無さそうに言う。新型コロナ禍だから仕方ないが、こんなときにそんな規則を持ち出されても釈然としないところはあったが、文句を言っても仕方ない。

「肺炎がおさまらず、熱もあり、抗生剤を投与しているのですが、MRSAの感染もあり、病状はあまりよくないです」

 正確な言葉は忘れてしまったが、病状の説明をかいつまんで言うとそんなところだったと思う。

 ああもうダメなのかなと思ったが、ダメかと思うだけで不思議と悲しみが自分を襲うことはなかった。これから葬式だの何だの大変なんだろうなと、そんなことばかり考えていたし、妻の誕生祝いのオークドアの予約も気になった。そんなことばかりを考える自分は子供として人間として、冷酷で冷たいのかもしれない、なんてぼんやりと思ったりもした。

 母と一緒に父の顔に触れたり手を握ったりしながら、15分。看護師さんが呼びに来るまで意識のない父に、母と私は何度も何度か呼びかけてみた。当然返事はない。

 看護師さんが呼びに来た。「月曜日には主治医と今後についてご相談頂くようにしますので……」と言う。多分もう長くないのだろうなと思わざるを得なかった。

 それはともかく、これ以上病院にいることはできないので、母と私はいったん家に帰ることにした。

 帰り道、母と私はあまり喋らなかった。お互いもう駄目かもなあと思っていたに違いない。

 夜風の冷たさが肌身にしみたのは風のせいばかりではなさそうだった。

 

(つづく)