BearLog PART2

暇な中年の独り言です

人類とウィルスの戦い、その最前線に借り出されることになりました(1)

 2020年だったかな、確かそれくらいから始まった人類とウィルスの戦いであるが、超長期戦の構えを見せている。日本においても、日々多くの人々がその戦いの最前線へと借り出されている。

 かく言う自分もその一人である。

 

8月1日 予兆

 夕方。久しぶりに会社でなければできない仕事があったため、出社した。普通に夕方まで働いたのだが、夕方くらいになってどうも喉に違和感を感じるようになった。そして家に帰ると、37度ちょっとと微熱まである。体中に微妙な倦怠感も感じる。

 ああ、これはひょっとして召集令状かな、と思った。しかしもう夜になっており、何をすることもできないので、ホームページで色々と調べて明日朝一番で地元の病院の発熱外来を予約することにした。そのまま自己判断で何かあっても怖いから、とにかく発熱外来には行ってみようと思った。

 とにかくダルいし、微熱もあるし、喉は痛いので、早めに寝ることにした。二階のトイレは自分専用ということにして、家人には自分に近付かないように言い早めにベッドに行く。

 

8月2日 確定

 朝8時半に地元病院の発熱外来に電話予約。9時が空いていると言うので9時を予約。それまではダルくて何もする気にならないが、何か腹に入れた方がいいかと思い、ヨーグルトを食べる。

 少しシミュレーションしてみる。新型コロナに感染していたとしたら、まずは在宅療養はやめよう。妻や娘への感染は絶対に避けたいし、我が家の向かいには年老いた母も住んでいる。勿論高齢の母への感染も絶対に避けなければならない。そう考えると宿泊療養がマストだろう。

 そう考えて、宿泊療養についてGoogle様を使って色々と調べた。どうやら申込は電話一本で済むらしい。保健所を通さなくても宿泊療養の申込ができるらしいことまで分かった。ちなみに東京都においては、こちらにきちんと書かれている。

 8時45分から病院自体は開いているとのことなので、ちょっとでも早くに診てもらおうと思って、最低限の身支度を整え家を出る。病院に付くと入口のところに整理のための事務員さんがいたので、発熱外来9時の予約であることを告げると入口脇のスペースに案内される。そこには医師が座っていて簡単な問診と体温計測をする(体温はたしか38度近く)。そして外にある発熱外来用のテントに案内される。確かにテントだったら感染リスクは低い。消去法的な選択でこうなったのだろう。

 しばらく待たされたが、テントに併設するプレハブ建ての検査室へ入れとの指示。入ると頑丈なビニールで囲まれた向こう側には医師なのか看護士なのか分からないが、白衣を着た人が一名。簡単な問診を受け(さっきもやったのにまただ)、鼻に例の奴を突っ込まれしばしグリグリされる。まずは抗原検査なのだそうだ。

「薬は不要となってますが」と白衣の人が私に尋ねた。

 問診票に薬の必要・不必要を書く欄があり、そもそも薬があまり好きではない私は自分は軽症で直ぐ治るだろうと素人判断をして、不要と書いたのだ。

「比較的軽症かと思い、必要ないかと」

「はい、分かりました」

 終わると、今度は検査結果待ち専用のテントへ移動。これもしばらくすると案内の人が来てくれて、病院の中に入らず外を通って、診察室へ案内される。当たり前だが、通常の外来と導線はまったく別系統になっている。唯一重なるのは入口のところくらいだ。

 診察室に入ると、厳重にビニールやアクリル板で区切られた向こう側に医師がいる。

「コロナ陽性です。10日間の隔離をお願いします。ご家族は濃厚接触者になるので、5日間の隔離です。保健所等の指示に従って下さい。薬はいりませんね。では案内に従ってください」

 これだけ? 自分としてはちょっと拍子抜けしてしまった。これから人類とウィルスの最大の戦いの最前線に赴くのに、事前説明はたったこれだけなのか? とはいえ、よく考えてみればこのウィルスは素人には当然のごとく未知で謎なのだが、考えてみれば専門家にとっても未知で謎のものであるのだから、仕方ないのだろうなと思い直す。

 誰しもよく分からないのだから、自分で考えて行動していくしかない。多分保健所も東京都も何もかも、頼りにならないのだろうなあと何となく身にしみてきた。

 家に帰り、家人にコロナであることを告げ、母親にも連絡し、会社にも連絡した。そもそも会社は感染勃発時より在宅中心の勤務体系になっていたから、マストのミーティングをオンラインでこなせば多分影響はなさそうだった。とはいえ、今ちょうど弊社が運用するファンドの決算時期で監査法人の監査期間にぶち当たっているのが気になるところではあるが、まあ何とかなるだろう。ならなければ困るので、なるようにしかならないのだ、と割り切る。

 そうこうするうちに熱も38度台になり、咳こそ出ないが喉が本格的に痛くなってきた。唾を飲み込むと痛い。風邪やインフルエンザのときの喉の痛みと同じだ。嚥下が難儀しそうな感じだった。

 それはそうと宿泊療養施設の申込をしなくては、ということで、さっそく電話をかける。かなり長いこと待たされたがつながった。喉が痛いのであまり喋りたくないのだが、とりあえず聞かれたことには全部答える。で、先方が言うには「今感染者が激増しており、宿泊療養施設もかなり埋まっている。すぐにご案内はできないかもしれない。決まり次第連絡をするのでお待ち下さい」とのこと。そりゃそうだよな。第七波真っ最中なわけだから。

 そうこうするうちに昼食。妻がスープと餃子とご飯を二階の私のコモリ部屋のドアのところに持ってきてくれる。あまり食欲があるわけではなかったが、何か食べておいた方がいいかと思い、無理やり食べる。

 夕方東京都のどっかのセクションから確認の電話が入った。どこのセクションかは忘れたが、名前や住所や身長、体重、病状、既往症等々、今日何度か答えた問診的なことを延々聞かれる。

 夕ご飯はあまり食欲がなかったので抜く。

 何よりもキツかったのは、午後にあった監査法人とのオンラインミーティング。これはキツかった。3時間。途中10分間休憩一回。我ながらよくもったもんだと思う。昔、上場企業のCFOをやっていたとき、帯状疱疹なのに東証アローズで決算発表をやり、業績発表をしたことをふと思い出す。あれもキツかったが、こっちも十分にキツイ。ましてや確実に加齢しているわけだし。

 ちょこちょこ仕事して、シンドくなったらベッドに入るというのを何サイクルもしているうちに一日が終わった。

 家人には色々と迷惑をかけてしまった。申し訳ない限りだ。

 

8月3日 風呂に入る 

 熱38度台。喉かなり痛い。唾を飲み込むと本当に痛い。夕ご飯も食べていないので、朝は食べようと思ったが、妻がいつもの朝食の納豆とご飯とスープを持ってきたので、これは食べられないと思い、断り、ヨーグルトだけにしてもらう。

 とりあえず風呂に入らせてもらう。気分は最悪だったが、少ししゃっきりした。風呂って本当に人間にとっては大事なものだと思う。何で気分が良くなるのだろう。人間が人間でいるためには色々なものが必要なのだということを改めて知る。

 確か午後に電話があり、宿泊療養施設に明日から入れるとのこと。「明日4日9時〜11時の間に迎えの車が行くので、それに乗って下さい」とのこと。「正確な到着時間は改めて運転手の方から明日連絡しますので、知らない番号からかかってきても必ず電話は撮って下さい」とのこと。ちょっと安心する。

 仕事の方は昨日の頑張り?に免じてサボらせてもらうと割り切って、ちょこちょこやっては寝るというサイクルを継続。キツイ。冷や汗が出る。これで軽症か、と思うと侮れないなあと思う。しかも自分の株は特殊な変異株で致死性が高い、なんてなったらどうしよう?などと無駄な不安も渦巻く。もし自分が死んだらどうするんだろう? 父から相続した分がまた相続され、課税されてもったいないなあとか。

 自分が死んでも家族は多分安泰だろうから、どうとでもなれと思ったり。考えなくてもいいようなことをぼんやりした頭でたくさん考える。故に気が滅入る。人類とウィルスの戦いの最前線は自分にとっては肉弾戦というよりは心理戦だった気がする。

 明日の出発の準備をしなきゃ、と思いつつ、そのまま寝てしまう。

 ということで、次回に続く。