BearLog PART2

暇な中年の独り言です

久しぶりに家族旅行に行ってみた

 緊急事態宣言も解けたとはいえ、状況があまり好転していないのであるが、この期を逃すと娘の学校が始まってしまうということで、いそいそと家族旅行に出かけた。

 大分まで。

 大分に行ったというのは実はいつも我々家族がお世話になっているFOSのファミリーキャンプが大分県宇目の「うめキャンプ村そらのほとり」で行われることになっていたからだ。

masa-fos.com

soranohotori.com

 

 いつもお世話になっているので安心確実、そして素晴らしい体験をさせて頂けるわけで、いつもは関東圏での参加になるのだが、大分にいってみるのも一興かと思い、一も二もなく参加することにしたわけである。

 とはいえさすがに首都圏から大分までの距離を考えると、前入りした方が確実だということで、別府に前泊することにした。

 

4月2日

 仕事は休暇をとったが、メールやメッセージが容赦なく来るので適当に応対。

 京急使って羽田に出た。早めに着いたことも有り、のんびりとお茶してから保安検査へ。トレッキングシューズ履いていたせいか、靴脱がされた。飛行機に乗ったら乗ったで、娘が「私飛行機乗るといっつも羽のところなんだよね」とぶつぶつ言うが、これは無視w

 着いてからレンタカー借りて一路別府へ。車の運転が久しぶりだったのでどうなることかと思ったが、案外大丈夫。とはいえ、サイドブレーキがペダル式だったのに最初気付かず、サイドブレーキがなかなか外せなかったのはここだけの話。

 そして鉄輪温泉で、マサさんご紹介のこちらに訪問。

tabelog.com

 いやはや失敗した。

 なぜって車で来ちゃったから。

 呑めないぢゃん。

 日本酒の揃え方もなかなかなら酒の肴とか超絶美味しい。それに蕎麦の香りが超絶素晴らしい。蕎麦つゆにつけるのがもったいないくらいの香りの高さ。そして歯ごたえと滑らかさが両立する食感がこれまたイイ!

f:id:kumaotaku:20210402134957j:plain

 

 ふくばこ蕎麦店で幸せな時間を過ごしてから、宿に移動。別府の宿はこちら。

www.suginoi-hotel.com

 

 杉乃井ホテルは思ったよりも超巨大。

 娘に付き合って温泉プールでのんびり。そして夕食はバイキング。フォアグラ丼とかうな丼、フカヒレラーメン等の高級品も並び、久しぶりの外泊ということもあり、家族全員それなりにご機嫌である。

 その後お楽しみの風呂へ。「棚湯」という大浴場へ。部屋から浴場までを浴衣で移動できるのは温泉場のホテルのいいところである。

 身も心もほくほくして就寝。

 

4月3日

 朝5時半起床。

 朝風呂。今日もまた「棚湯」にお邪魔。空は雲に覆われているが、雲間から運良くご来光を拝むことができた。とはいうもののすぐに分厚い雲に遮られてしまう。ちょっとだけでも見ることができて運が良かった、ラッキー。

 朝食バイキングでお腹いっぱい食べてから、一路宇目へ。別府から宇目までは2時間くらい。カーナビの指示に従って無難に到着。到着してみれば雨がしとしと降っていたが、風が強くないのでそれなりに過ごせる感じ。性能のよいパタゴニアの雨具(トレントシェル)に感謝。

 久しぶりにマサさんと再会。お元気そう。今回のファミリーキャンプ参加者は2組。我々以外に参加された方は19歳と20歳の女性の方々。若いのだが、後に二人が地元の神楽の後継者であることが判明。伝統芸能を学ぶ者として勝手に連帯感を感じてしまった。

 まずはテント設営から。

 テント設営後、昼食。その後キャンプ場の周囲を散策。ダム湖を見つつ、まったりと新緑を楽しむ。散策中、左ふくらはぎにチクリと痛みを感じて?と思っていたら蛭に噛まれていた。他にも蛭被害者続出で、どこからどうやってきたのかはまったく分からないのだが、娘の指にも蛭がくっつき(とはいえ血は吸われていないようだった)、彼女の大絶叫を聞く羽目になる。

f:id:kumaotaku:20210403155839j:plain

 私自身は何度か蛭に噛まれているのだが、その都度適当に指で払って無理やりひっぺがしていたが、塩やアルコール、虫よけをかけると簡単に外れるということを教えてもらい、さっそく塩をもらって彼らに(2匹いた)ふりかけたら、あっさり外れた。これでまたちょっと大人になった気がする。

 散策の後は夕食の買い出しへ。キャンプ場からクルマで15分くらいのところにある屋のスーパー、そしてキャンプ場に併設されている道の駅で食材を調達。道の駅にはジビエもあった。近くにはジビエの専門店もあるらしい。あと宇目キムチなるものが売っていて、興味をそそられたのだが、かなりの部分が売り切れになっており、残念至極。近隣に「宇目キムチ食堂」というところがあって、そこの商品らしい。興味津々。残っていたらっきょうキムチだけをお試しで買ってみる。

 夕食は合計7名でにぎやかに食べつつ飲みつつ話す。面白かった。あっという間に10時半くらいになり三々五々就寝。

 夜中風雨が強まり一度目を覚ます。

 

4月4日

 朝食をとってからトレッキングへ。

 今回は軽く沢歩き。クルマで40分くらい走って出発地点へ。遊歩道と言いつつ遊歩道というよりは登山道を沢を歩きつつ、遡っていく。水はきれい。途中大きな岩があったりして面白い。雨もむしろ心地よい。モンベル沢登りシューズの出来が超絶よくてちょっと注意深く歩けば全然滑らない。これはありがたかった。

 登山道を歩く娘は四六時中蛭を気にしているが、道中蛭は1匹くらいしか確認できなかった。とはいえ、温暖化のせいか、随分と早い時期から出てくるようになったものだ。雨のせいなのかな。

f:id:kumaotaku:20210404102658j:plain

f:id:kumaotaku:20210404102139j:plain

f:id:kumaotaku:20210404111959j:plain

 

 種発地点に戻ってきてから風呂に入り(冷泉を沸かしているようだ)、名残惜しいが空港へ。飛行機は最終便をとっていたから時間はたっぷり。空港のレストランで安心院ワインでまったり。鶏天をりゅうきゅうに舌鼓。

f:id:kumaotaku:20210404180059j:plain

 

 しかし、自然のリズムに体を委ねられるところ、マサさんのイベントの最大の美点だ。勿論それ以外にも凄いところはあるのだが、それはそれとして、自然のリズムを体感できるというところ、何度参加しても素晴らしいと思う。

 以上、散漫で駆け足ではありますが、コロナ禍の狭間の家族旅行の顛末でありました。

 お粗末。

 

 

娘の中学受験が終わって思うこと(その2)

 
 
 
View this post on Instagram
 
 
 

A post shared by 細谷 賢由 (@kumaotaku)

 娘の中学受験についての話、第2回目である。

 第1回はこちら

 実のところ、うちの娘は自分が希望していた中学校に合格することはできなかった。この「合格」という言葉について、お受験父兄は時折「御縁を頂く」という不思議な言葉を使うことがある。この「御縁」という言葉は中学入試よりも小学校入試でよく聞かれたような気がする。

「御縁」

 自分はこの「御縁」という言葉に対して強烈な違和感を持っている者である。

 とはいえ、何で自分が違和感を感じるのかということを突き詰めて考えてみたことはなかったわけで。

 よい機会だからちょっと考えてみたい。ならばその正確な意味を知るところから始めようではないかと考えた次第である。

 「御縁」というのはあくまでも「縁」であって、「縁」という言葉を岩波国語辞典で調べてみると、

①一般に、物の周辺部。ふち。

②つづきあい。たよりにする。てがかりにする。関係。

③(仏)原因を助けて結果を生じさせる作用。まわりあわせ。

 といった意味がつらつらと出てくる。これに対して同様に「合格」を調べて見ると、

一定の条件や資格にかなうこと。試験や検定などに及第すること。

 と、出てくる。

 この意味を前提として、学校から「入学してもよい」と言われた場合、どちらを使ったほうがよいのだろうかとしみじみ考えてみる。 

 入学試験の選別によってその学校との「縁」ができたのだから「御縁を頂いた」と言うのは、あながち間違いではなさそうだ。しかしながら「御縁」と「合格」の言葉の違いというのは明らかにあるわけで、その差異は決して小さなものではないと考える。

「御縁」と「合格」

 ううむ、もうちょっと考えてみないと分からない。考えろ、考えろ(竈門炭治郎風)。

 「御縁」はあくまでも「関係性」であって、「合格」は明らかに学校側の要求する水準をクリアしたということを意味する。ということは、

「合格」することによって、学校との「御縁」をちょうだいした。

 ということが、一番正しい表現法なのではないかと考えた。

 ここまでツラツラと書いてきて、何で自分が違和感を感じていたのかがはっきりと理解できた。

 要するに、「御縁」とだけ言ってしまうと「合格」という言葉が忘れ去られてしまうような気がしたからなのだ。つまり、「学校」との「御縁」ができるためには、「学校」が要求する基準に「合格」することが必要なわけで、「御縁」を頂くための必要条件として「合格」というものが存在するということ。

 この「合格」のためには自律的な努力が必要だ。「合格」という言葉を発することなく、「御縁」という言葉のみを発してしまうと、その自律的な努力を無視しているように感じられるのだ。全員が全員そうは感じられなくとも、少なくとも私にはそう感じられる。それに加えて、「御縁」という言葉は多分に努力の有無ではなく、「偶然」という側面を強調するような感じもするのだ。少なくとも私はそう感じてしまう。

 ということなので、「御縁を頂く」「御縁があった」と言う前に、

「合格したので、御縁を頂いた」

「合格したので、御縁があった」

 と言った方が自分としてはしっくりくるのだということにここまで考えながら書いて到達した次第。

 そう言わないと我が娘の慎ましやかな努力を無視してしまっていることにつながるから笑。

 これ以上のオチはありません。悪しからず。

 

娘の中学受験が終わって思うこと(その1)

www.asahi.com

 

無事?でもないが、娘の中学受験が終わった。

 親が言うのも何だが、あの勉強量でとりあえずは合格を二つ勝ち取ったのはすごいとは思う。改めて娘に「おめでとう、よく頑張ったね」と言ってあげたい笑

 それはともかく。

 昨今の中学受験はすごいの一言に尽きる。

 倍率?

 いやいやそれもあるけど、入試に関する手続の方だ。

 旧来型の名門校がどうなっているのか知らないけど(娘が受けていないから知らない)、今や願書はネットで提出できるし、受験票は自宅プリンターでプリントアウトして、そこに証明写真を貼ればいいだけ。

 受験料や入学金の納付はクレジットカードですむので、国策にも合致するキャッシュレスを達成している。

 しかも締切は試験の前日までで、合否の発表についてもネットで当日中に確認できたりもする。

 すごい。

 自分が中学受験をしていた四十数年前と比較すれば、当たり前の話であるが、雲泥の差、インターネット万歳!という感じである。

 便利になるのはよいことだし、日に日に変わる合否の状況に応じて最適な出願が可能になるということで、受験生及び学校の双方にとってメリットのある話だから歓迎こそすれ、文句をいうものではないだろう……と思いつつも、典型的な昭和世代としては郷愁に噎び泣くという感じではないのだが、そこはかとない違和感を感じざるを得ない。

 教育と利便性の話だ。

 教育というのは、冗長性の塊なんではないかと考えている、冗長性と言えば聞こえはよいのだが、要するに「無駄」の塊っていうことだ。

 娘の勉強を見ていて、受験に必須の「四則混合計算」というのがある。要するに+、−、×、÷がぐちゃっと全員総出演する面倒な計算である。こんなもの、はっきり言って、計算の順番だけ確認すればよいわけで、その後はカシオの電卓におまかせすればよい。スマホにだって計算機くらいは乗っているし、エクセルくんという下手な大人よりも計算が得意なアプリの類だってあるわけである。

 漢字の書き取り、だってそうだ。スマホやパソコンに入力すれば勝手に変換してくれるわけで、出てきた候補の文字の中から選べばよいだけなのに、何回も何回も書き取りをする必要なんか、少なくとも大人になってしまえば必要ないわけだ。

 歴史の年表、理科の月の満ち欠け……みんなGoogle先生に聞けば一発でわかる。

 これって無駄(冗長性)の塊ではないだろうか?

 そう、教育というのは効率化の対極にある何者かなのである。

 この冗長性がよいのか悪いのかということは別の機会に議論するとしませう。

 ということで。

 コンテンツが冗長なんだったら、それを取り巻く手続も冗長であってしかるべし、なのではないだろうか(半分笑い)と思っただけなのだ。

 とはいえ、忙しい親からすれば手続類が大幅に削減されるのは嬉しいことではあるが、そもそもが冗長性の塊である教育においては、その入学の手続の冗長性が今後来るであろう教育コンテンツの冗長性のプロローグになっていて、いい感じなんだと思うんだけどなあ……。

 だって、サクサク手続できてしまったら、この後たくさん出てくる冗長な教育コンテンツと複雑怪奇なスクールライフもサクサクいける!と思ってしまうじゃないか。どうせ、この後山あり谷あり、なのになあ。

 勘違いしちまうぜ。

 と、クレジットカードで入学金を払い終わった後に思うのだった。

 これって、ただの郷愁の念かもしれない(自嘲)。

 反動的だな、我ながら。

 その二につづく。