BearLog PART2

暇な中年の独り言です

4月21日 映画、映画、映画といっても2本しか見てないけど

 朝ジムをサボって7時過ぎに家を出て、TOHOシネマズ渋谷へ。「オッペンハイマー」を見る構え。「オッペンハイマー」についてはあまりの愚作っぷりに昨日勢いで書いた文章があるので、そちらを参照されたい。

 

kumaotaku.hatenablog.com

 終わって早々に一回家に帰ろうとしたのだが、なにかお昼を買ってきてと妻から頼まれていたので、さて何を買おうかとちょっと悩む。娘からは「侍マックのチーズとパテ2枚入りのやつね」と言われていたのだが、映画館からマックに行くまでが面倒くさい(あまりに人が多いので)ため、東急FoodShowでパスタを人数分購入。まだ温かい。

 昼食食べてからまったり。コーヒー飲んだり昼寝したり、等々。まったり。

 18時過ぎに家を出てアップリンク吉祥寺へ。ゴダールの遺作を見る構え。

godard-phonywarsjp.com

 30分くらいの短編。ほぼほぼ文字や画像がベタで画面に張り付いているかんじ。時折朗読やナレーションが入る。スマホに入っている静止画や動画や音楽をぐちゃっと繋いだ感じとでも言えばいいのだろうか。

 端的に言えば「ゴダール印」がついていなければ誰も見ないような代物だろう。かくいう自分も「ゴダール印」に1000円払ってしまった口だ。これについてはそれ以上語る言葉を自分は持っていない。一言だけあるとすれば、

 ゴダールよ、安らかに眠れ。

「オッペンハイマー」 ううむ、稀に見る愚作と言えないか

www.oppenheimermovie.jp

 色々といわくつきの作品である。被爆国である日本への配慮が足りないとか、まあ色々。それはともかく、自分は「インセプション」「バットマン」「インターステラー」等々で、クリストファー・ノーランの力量を非常に高く評価し、彼の作品が大好きなので、そういった風評的なものに影響を受けることなく、普通にノーラン映画として楽しめるのではないかとちょっとだけ期待に胸を膨らませて行ったわけであるが、これが近来稀に見る愚作であったので、ちょっと寂しくなってしまった。

 あと作品の本質とは関係ないのであるが、オッペンハイマー役にキリアン・マーフィー、そうそうノーラン組といってもよい俳優だが、これがアップになる度にTalking Headsのデビッド・バーンに見えて仕方なくなってしまうのだ。しかもこの時代のスーツは比較的ゆったりめ。なのでどうしても「Stop making sense」を思い出してしまい、一人脳内で失笑するという。まあそういうところからして何となくの第一印象はよくはなかった。

 なぜ自分はこの映画は愚作と言い放つのか? 巨匠ノーラン作品だぜ。

 過去のノーラン作品って、彼のテーマみたいなものが映画的なギミックとともに無理なく展開されていたことを思い返してほしい。「バットマン」シリーズではあのダークヒーロー的な世界観を描写するためには暗い色調でのアクションシーンは不可欠だったし、「インセプション」「インターステラー」ではそれぞれの映画的世界観を表現するためにはノーラン独自の映画的ギミック、VFXがどうしても必要だった。

 しかし「オッペンハイマー」ではどうだろう? はっきり言って時折入る素粒子や核爆発のイメージ映像、軍靴での行進の足音を思わせる音、溶けていく人の姿、唐突に出てくるヌード等々、映画的なギミックを本当に彼は必要としたのだろうか? 自分の趣味の問題と言えばそれまでなのだが、一人の政治に翻弄された物理学者の人生を描くのに、はっきり言って映画的ギミックはあまり必要ないと考える。

 むしろ邪魔だ。俳優の身体性だけでしっかりとストーリーを形作れるはずだ。むしろ俳優の身体性にこそ、一人の人間を表現できるだけのものがあるはずなのだ。それなのに、観客に眠気を感じさせないようにしたいのかどうなのか、不必要に映画的ギミックを駆使する。その映画的ギミックについては当代一のノーランのことだから、そこだけをとれば「よくできている」のだが、でもそのギミックはテーマを激しく響かせるわけでもなく、オッペンハイマーの人物を描き出すわけでもなく、ひたすら上滑りする。

 一言で言ってしまえば、何をやりたいのか分からない。というか人物造形がなってないのだ。そこに映画的ギミックがてんこ盛りとくるから、散漫な印象を与えてしまうし、何を描きたいのかも分からない。

 強いて言うならば、物理学の理論やある種のコンセプト、巨大なイベント(戦争とかそういったものだ)などを描かせるとノーランは天下一品なのだが、本作のように「人間」そのものを描くことはできないということなのではないだろうか。

 はっきり言って自分としては稀に見る愚作。見る価値なし(しかし見る価値なし、ということは見ていないと判断できないことなのだから、なんか量子力学っぽくて面白いな)。

 とはいえ、東宝のシネマイレージ6本鑑賞のおかげでただで見れたからよしとするか。

 もっともただより高いものはないのだがw

 

追記

パーティーのシーンでコンガを叩くファインマンが現れる。「御冗談でしょう、ファインマンさん」に収録されている「下かた見たロスアラモス」という章は当時ペイペイだったファインマンがロスアラモスのプロジェクトを語っているが、これがなかなか面白い。

 

 

4月20日 いつもの日常へ

 11時半からヴァイオリンのレッスン。師匠には申し訳ないが、ここ最近は神能のことでいっぱいいっぱいだったので、レッスン前にチャカチャカっと練習しただけなので、うまく弾けませんすみません、と言うかんじ。師匠へのお土産はもみじ饅頭味のキットカットとしたw

 その後は高齢の水回りの掃除。コーヒー淹れようとしてお湯かけていたら、ソファで落ちてしまい、はっと思ってばっと飛び起きたら、やかんがしゅんしゅん怒っていた。危ない危ない。コーヒー淹れてしばしくつろいでから水回りの掃除へ。予定通り終わったあたりで妻が帰って来る。鍵を忘れたらしく開けてくれとインターフォンで言ってきた。

 その後は久しぶりの合気道の稽古。今日の組み手はいつもよりはわかりやすかったような気もするし、少しずつ身体も動けるようになってきた気もする。昨晩「ばんぶぅじ」で聞いた話だと「ある日突然」できるようになるらしいから、多少は進歩しているということかもしれない。

 ヴァイオリンの師匠がいつもおっしゃっていること。「練習していれば下手にはならない」、合気道もそういうことなのだろう。

 楽しみつつ、精進しよう。自分は舞にキレを出すために合気道を習っているわけであって、昇級、昇段等を望んでみても仕方ない、うまくならなくても身体のさばき方が少しでも分かればいい、という気楽な気持ちで稽古に行くことにしたのだ。

 そう思うと稽古もまた楽し。