BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 お手伝い、お手伝い、経営者の資質

 お昼に仕事がらみのLunch On Meeting。その後も参加者を微妙に変えてミーティング。3時に帰社してからミーティング。
 夜、最近お手伝いしている会社の採用面接に参加させて頂く。ご一緒した方から、「お前はスゴイ圧迫系の面接をするなぁ」と言われ、そりゃそうだなあ、自分がキャンディデイトとして面接官の自分と対峙したら、30秒くらいで怒って席をけってしまうかもなあと、正直思った(苦笑) 妻からも「かんじ悪い」と言われるし、いかんですなぁ。
 経営幹部候補の方の面接だったので、そもそも「経営者の資質」って何だろうということをしみじみと自問自答してしまう。
 思うに、「初期衝動」じゃないかなあと。この「初期衝動」というものは、なかなか定義しにくいものなのだが、「これをやってみたい!」という漠然とした思いのようなものだと理解されたい。だから、「CEOになりたい」とか「経営企画をやってみたい」とか、タイトルに紐付くような野望や欲望とは全く異なったものだ。自分の原始的な「やりたい!」という初期衝動に従った結果、タイトルがついてくる、というのが理想だし、逆のケースでは自分にとっても会社にとってもどこかのタイミングで苦しくなることだけは明らかだ。
 自分が経営者の資質があるかどうかは別として、自分自身の「初期衝動」って何なのだろう?と思い返してみると、ぐぐぐっと自分の心の中を掘って行くとこつんと岩盤のようなものに当たるのが分かる。その岩盤というのは、
「世界の果てを見たい」
「世界を理解したい」
「世界を変えたい」
 という三つから構成されていることに気付く。
 「世界の果てを見たい」というのは、まさに誰も見たことのないことを見たい/経験したい、ということだ。これは偉大なる旅行者になりたい!というのとは違う。要するに誰も経験していないことを経験したい、火を始めて扱ったサルになりたい、という野望というか衝動だ。
 「世界を理解したい」というのは、上の「果て」とはある意味矛盾するかもしれないのだが、自分が今五感全てで感じ取っている「世界」というものの成り立ちを、できるだけ明晰な言葉で理解したいという無謀な欲望だ。言葉とはいえ、それが数式で理解できるのであれば、数式でもかまわない。それが蓋然性で記述できるものでも、確率分布で記述できるものでも何でもよい。とにかく、今、自分が寄って立っている世界が何であるのか、どうなっていくのか、どこから出てきたのかを理解したいという衝動。
 「世界を変えたい」というのは、まさに自分の力で、自分が寄って立っている世界の構造をちょっとでもいいから変えてみたい。どう変わるかは知らないけど、とにかく変えてみたい。あり得ないことをあり得るようにしてみたい。あり得たことをあり得なくしてみたい。良くしてみたい。悪くしてみたい。何でもいいけど変えてみたい。破壊したい。創造したい。そのために微力ながらも、自分の力を投入してみたい。そういう野望。そういう衝動。
 基本的に、「私」という人間のコアにあるのはそういう衝動/野望なんだろうと思った。これが経営者の資質なのかどうかは分からない。
 多分違うような気がする笑