BearLog PART2

暇な中年の独り言です

「考える」ということをどう教えるのか?

 ここ最近、娘に「考える」ということをどうやって教えればいいのか、かなり悩んでいる。
 安易に、「もっとよく考えてごらん」なんて口走ってしまうのだが、娘の顔を見るときょとんとしていたりする。そりゃそうだ。6歳くらいじゃあ「考える」という行為を意識化できているわけはない。もっとも大人だって意識化できていない人はたくさんいるんだろうけれど。

 じゃあ「考える」ということを教えていくにはどうすればいいんだろう?とかなり真剣に悩むわけである。仕方がないので、自分が毎日どうやってものを考えているのかをつらつらと思い起こしてみる。

  1. まず最初によく観察してみる、もしくは考えるべき課題で何が求められているかをまずは理解する。
  2. 必要な材料(ばらばらに転がっている素材だったり、情報だったり)を寄せ集めて、分類してみる。
  3. 分類してから、分類した同じ仲間の中での共通点や細かな違いを洗い出す。
  4. ぞれぞれの仲間の分析を終わらせてから、仲間ごとの違いや特徴などを比較してみる。
  5. 分類した材料や素材を組み合わせて、何ができるか、色々と試してみる。このトライはある意味数打ちゃ当たる、という帰納的なやり方にならざるを得ない。

 というようなプロセスを踏んで「考えて」いるような気がする。これと比較すると、文章を書いたり、計算をしたりするようなことは、腕立てやクランチみたいな筋トレに近いような気がしている。こういったことは「思考」というものよりは、肉体的な活動に極めて近い。
 こういうプロセスを子供の教えられるのだろうか? どう考えてもうまく説明できそうな気がしない。そもそも考える前に、「人の話をよく聞く」というあたりが怪しいから、毎回「もっと人の話を聞いて」と注意することになるが、どうやらスルーされているようだ。
 まあそんな状況下で私が唯一娘に教えているのは、
「もし自分がその立場だったらどう思うか」
 ということだけ(苦笑)。例えば、私は娘の歯磨きを手伝っているのだが、娘はそのときに口を大きく開けなかったりするとき。
「きみがお父さんの歯磨きをしているとしよう。そのときに、お父さんが口を閉じたらどうする? 困るんじゃないの?」
 みたいに、「人の身になって考える」ということを何となく伝えようと努力していたりするわけだ。
 結局、他人の頭の中を推測する能力というのは後で役に立ちそうな気もするし、他人の気持ちを推測することによって、人に共感し人の気持ちの分かる大人になって欲しいと思うから。だから、今のところ強調しているのはこれだけ、というかこれ以外の「考える」というプロセスをうまく伝えられそうな気がしないから。

 本当は、もっと他にたくさん教えることがあるんだろうな。。。