BearLog PART2

暇な中年の独り言です

「Civil War」を観て「Apocalypse Now」を思い出さないわけにはいかない

 実はあまり期待せずに見に行ったのだ。「Civil War」。

youtu.be

 とはいえ、これは観ておいてよかった。というか、観なければいけない映画のような気がする。

 連邦政府からいくつも州が脱退し、カリフォルニアとテキサスの同盟からなる「WF(西部勢力)」と連邦政府軍の間に内戦が勃発、WFはワシントンへ向けて侵攻を続け、国内はもはや誰が敵で誰が味方か分からない状態でひたすら殺し合いを続けているような凄惨な状況。それが背景等の説明も特になく、「そうなっているんですよ」と規定事実のように物語が進んでいく。

 そう言えば話は飛ぶが、「攻殻機動隊SAC 2nd GIG」のセカイでは、「米帝」とその他のアメリカに分裂しているという設定になっている。

ja.wikipedia.org

 ご参考までに。分裂するアメリカという素材はそれなりに古くからあるということだと思われる(もっと古いもの、他のコンテンツ等でもある可能性はあるが、私が知る限りは「攻殻機動隊」で出てきているものだけだ)。

 主人公はキルステン・ダンスト演じるピークを過ぎた戦場写真家、そしてうら若き戦場写真家見習い?ケイリー・スピーニー、この二人の設定がすごく効いている。この二人を写真家として設定したがゆえに、この映画はふたつの視線をもつことになったからだ。

 ひとつは作品自体を画角に収めていくカメラ、そしてもうひとつはこの二人の写真家の視線。この二人の視線は折々で挟まれる、彼女たちが撮影したと思しき静止画として表現されるわけだが、このふたつの視線が絡み合うことによって、我々観客の視線には単なるフィクションをこえた不思議なリアリティが加わることになる。ここがすごい。

 そしてニューヨークからワシントンDCへの道行きで目にする完全に壊れたアメリカのディストピアぶり、そのディストピアぶりとは裏腹な美しい画作り。これって。。。自分は強烈なデジャヴ感に襲われたが、そうそう、元ネタは「Apocalypse Now(邦題は『地獄の黙示録』)」じゃないか、と気付いたのだ。

 あちこちの批評に「ロードムービーだ」的な記述があるのは知っていたが、ディストピア、特に戦場を旅するもののとして先行する作品は「Apoclypse Now」だ。そしてこの「Civil War」を観ていると、どうも先行する「地獄の黙示録」へのオマージュがそこはかとなくあるような気がする。通り過ぎるあちこちでは司令官がいないまま殺し合いが続き、そして自ら武装することにより内戦から隔絶した環境を作っている人々(これは「地獄の黙示録」の最初の劇場公開版ではカットされたフランス人家族を思わせる)等々、あちこちに「地獄の黙示録」の影を感じる。。。のは自分だけだろうか。

 そしてラスト。カーツからウィラードへ手渡される「何か」がここでも確実に手渡されている。

 いやー、それとは別にケイリー・スピーニーは可愛い。初めて戦場に出ていく報道写真家を好演。キルステン・ダンストももはや貫禄の域で、勿論よいのだが。

 前の日記でも書いたのだが、この時期にこれを製作し公開するアメリカの底力のようなものを感じてしまった。

 日本ではこういう映画を作ることができるのだろうか?