朝一番から投資先の取締役会に参加。
自分はもう投資の現場からは足を洗うことになっており、後任が任命されているわけなのだが、いきなりの塩対応で、笑ってはいけないのだが、笑いそうになってしまった。
担当が変われば対応方針がかわるのはJTCの世の常だが、こと投資という比較的長期的に継続する関係という意味では、対応方針の変更というのはなかなか難しいところがある。
……まあ、自分が言うことではないか。いつかはこういう日が来るのだから。
午後にあって、とある金融機関を投資先にご紹介するというオンラインミーティングに参加。自分の出番はほぼないので、お気楽なものだ笑
しかし始まりがあるものはいつか必ず終りが来る。
なんて、ことを思いつつ、時間が過ぎる。
今日は彩の国さいたま芸術劇場へヴッパタール舞踏団の『Sweet Mambo』を観に行く予定なのだ。仕事のことなんか、考えていられない(というのは半分本気、半分冗談)。
しかし、さいたま芸術劇場って、埼京線の与野本町にあるから、軽く食事して帰ってきても遅くなることは分かっているので、ヴァイオリンの練習、能楽の練習、ストレッチ、体幹トレーニング等々を前もって済ませておく。一日のルーティンをきっちり終わらせておくと精神状態が極めて良いから、である。
ということで19時開演に備えて、17時くらいに家を出る。ちょっと早いかと思ったのだが、何かあって遅れると嫌なので、早めに行動開始。
実は今日の公演は妻と一緒に来るべくチケットをとったのだが、とった後で妻に予定があることが発覚し、能楽社中の友人にピナの映画を観てもらった上で、チケットを進呈したのだった。この友人は、舞踏や映画などへの造詣が深いので、きっとお誘いには応えてくれるだろうと思っていたら、やはりその通りになった。
ときは夕刻。
とくれば当然帰宅ラッシュ。
ここうん十年間、井の頭線のへなちょこラッシュしか経験していない自分にはキツイ笑 なんて言いつつ、乗り継ぎがよくて思ったよりも早くに与野本町に到着。のんびり歩いて劇場へ向かう。途中に中学校があって、その塀沿いに色々な演劇関係者(俳優、演出家等々)の手形のプレートが飾ってある。画像に収めたい気もしたが、もう既に周囲が暗いので、スマホカメラではうまく撮れないだろうと思って一つずつ眺めるだけにしておいた。阿部ちゃんや蜷川幸雄、石原さとみ、等々、見ているとなかなか面白い。
そうこうするちに、到着。思っていたよりも全然大きい。


自分は元埼玉県民なのだが、埼玉にもこんな立派な文化施設があるなんて、ちっとも知らなかった。不勉強の至り、である。
開演20分くらいまえに席につくと、ほどなく友人もやって来た。友人は社中の先輩と神楽坂で稽古をしてからやって来ているのでアタマが下がるばかり、である。
ということで、『Sweet Mambo』である。
生で観るピナの踊りだが、自分は数年前の『春の祭典』だけで、『Sweet Mambo』についてはまったくの初見だったこともあり、いきなりダンサーが喋ったのにはちょっとビックリ。いやはやこれも不勉強の至りだ。
忘れないで
という言葉が冒頭に出てくる。友人によれば、それが今日のテーマではないかとのこと。
前半後半に別れ、間に25分の休憩あり、トータルで2時間30分程度の舞台。前半と後半ではちょっと趣向が異なっている。
前半はダンスというよりもちょっと前衛演劇色が強いかなあ。後半は密度の濃い踊りがこれでもか、と出てくる。白いカーテンというシンプルだが力強い舞台装飾がダンサーを包みこんだり、隠したり、その隙間から突然現れたり、と変幻自在で面白い。
そしてダンサーの動きは複雑そうに見えるが、ピナの「型」ともいうべきムーブの複合体として見てみると案外シンプルなのではないか、というのも友人の弁。
また自分が「ピナの踊りを見ていると『分かりあえない』けど分かりあおうとする不可能性みたいなモノを感じる」的なことを言うと、彼曰く、
「最近の若手ダンサーのテーマはみんなそれです。しかもそういうことを表現するのに小道具を使うんです。今日も小道具出てましたよね」
おーっと思った。
ダンスを含めた身体動作というのは、音声や文字に寄る言語というコミュニケーション以前に存在したコミュニケーション方法であるがゆえに、意思伝達の可能性/不可能性を両義的に表現できる方法であることは言うまでもないが、それを使っているのはピナだけではないのだ、ということ。
結構一般的な語り口なのだ、ということ。まあピナがそれを開拓したという見方もあろうが、とにかく言葉は悪いがコモディティ化している手法、なのかもしれない。
うーん、ここでも不勉強の至り、である。
彼はやはりダンス、舞踏系への造詣が深く、かつボクシングなどに取り組んでいたこともあり、そのへんの身体への深い視線がなかなかどうして凄いなあとちょっと感服してしまう。
自分はそういう意味ではまだまだヒヨッコだ。
話は飛ぶが、茨木のり子の『自分の感受性くらい』をふと思い出した。この詩は大好きな詩で折々で思い出が故にちょうど思い出したのだった。
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
ああ、自分は自分の感受性をどれだけ蔑ろにして研ぎ澄ませずにいたことだろう。
ものを見ること
ものを聴くこと
ものを触ること
ものを味わうこと
ものを嗅ぐこと
そして、そこから得た情報を、自分はきちんと理解して咀嚼して血肉化してきたのだろうか?
なーんてちょっと思ってしまったりした。
話を戻すと、『Sweet Mambo』、自分にとっては粒度の高いダンスが途切れることなく出てきた後半の方が良かったかなあと言う感じがする。勿論前半のそこはかとないユーモアなどは面白いと思ったが、言葉が出てくると自分はどうしても習性的に言葉に引っ張られてしまうので、「意味」とか考えちゃうから、「感じる」という意味では、やはり密度の高いムーブを存分に楽しみたいなあと言う気がする。
でも前半あっての後半という気もするし、とにかく、観られて満足したのである。ピナは最晩年にこんなことを考えていたのだと思うだけでもちょっと楽しい。
ということで、公演がハネて、友人とは渋谷に出て閉店間際の居酒屋で一杯。そのときに今日のお礼だということで、こんな素晴らしいものをいただいてしまった。
ありがとうございます!!!

私が愛してやまない『ポンヌフの恋人』のカイエ・デュ・シネマ特集号!
もう涙出そう。
そしてこちらのDVDも貸していただく。
おおジョン・カサベテスにジーナ・ローランズ。好み好み。
ということで、ご機嫌で友人と別れ、井の頭線の最終急行の1本前で帰宅。
終わりよければ全て良し。
いい一日だった。
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