BearLog PART2

暇な中年の独り言です

4月9日 浜松日帰り出張な一日

 11時に家を出て12時ちょい過ぎに品川発ひかりに乗って浜松まで。今日は浜松で出資先候補に会いつつ、既存投資先にご挨拶と近況ヒアリングということでお伺いするため。

 新幹線の中ではじっくり謡本を見ながら復習しようかと思っていたのだが、メールに返事やチャットの返事等々で乗車時間のほぼほぼすべてを使い切ってしまう。

 浜松は何度か来ているのだが、基本的には静岡大学内のインキュベーション施設と駅の往復だけだけというのが寂しいところ。

 今回は投資検討先の話をじっくり聞き、施設を見学し、その後で既投資先の近況ヒアリング。その後で皆で食事へ。静岡駅内のお店だったけれども、なかなか美味しかった。思ったよりも遅くなったけど、有意義な日帰り出張。

4月8日 会社で能楽を知るという不思議なランチ会が開催され

 12時めがけて出社。今日は会社でう有志を集めて能楽の基本的なことをお伝えするr難治があったので、同僚兼姉弟子といっしょに講師役を務めることに。能楽の歴史、面の説明、簡単な型、謡等々をお見本を示しつつ簡単にご説明。まあ自分はほとんど補助役に過ぎないのだが。これで少しでも能楽に親近感を覚えてくれる人が増えたらいいなあと思ったりする。

 午後はオンラインミーティングやデスクワーク。

 帰宅してから「花月」稽古を一人でこちこち。

 精進しなければ。

4月7日 映画を見てから稽古し夜は家族と餃子

 昨日の段階で水回りの掃除が終わっているから気分的に楽ちん。ということもあり、昨日の段階で日曜日を有効に使おうということでアップリンク吉祥寺で「美と殺戮のすべて」の9時半からの回を抑えておいた。これで一日が効率的に使える。「美と殺戮のすべて」については

 

kumaotaku.hatenablog.com

 まあダラダラ書いているが、それなりにインパクトがあった映画、ドキュメンタリーだった。結局ナン・ゴールディンは「喪失」が金銭的な価値になってしまったことに耐えられなかったのではないかということ、その一言に尽きるのだが、そこに至るまでの思考の過程がダラダラ流れ出しているまとまりのない文章だ。

 それはともかく、吉祥寺から帰ってくるとき、ふと思いつき井の頭公園によってみる。花見の季節だし、桜の花を見ておくのも悪くないだろうし、坂本龍一ではないが、自分はあと何回満開の桜を見ることができるのだろうか、という気も最近になってしてきたわけで。還暦も近いから心境の変化か。

 とはいえ行く途中からかなりの人混みで、あまり中心部にいく気持ちも起きず、遠巻きに眺めるに留める。桜はカスミになるが、人影は人影にしかならない。

 
 
 
 
 
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 そしてついでのついで、ということで地元の神田川も見に行ってみる。こっちの方が自分としてはお値打ち感があるんだが。

 
 
 
 
 
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 キューブリックの構図のように一点消失が好きなのだ。中心に向かって自分が吸い込まれていくような、絵の中にダイレクトに自分が入ってしまうようなそんな感覚を感じるので。一点消失の構図にものすごく惹かれる。

 そして「花月」の稽古。音源に先生から頂いた先生の厳島神社での演能の動画を使わせていただく。厳島の当日のノイズも思いっきり入っており、これをリビングのBOSEでかけるとそれなりの臨場感。「そもそも〜」から通し、面をつけて。もう臨戦態勢なので、やれることは全部やらないと。

 そしてコケたところを一人でさらう。まあまあかな。

 夜は、大手町パレスホテルに期間限定ストロベリーパフェを食べに行っていた妻と妻と娘、彼女らと地元の駅で待ち合わせて、ご近所の餃子のチェーン店で夕食を食べる。途中で娘は帰ってしまったので。妻と二人でしみじみ酒を飲むが、何を話していいのかわからなくて、沈黙が続く。

 夫婦長くやっているとそういうこともある。

 無理せず細く長く。絶えることなく。ということで