昨日の段階で水回りの掃除が終わっているから気分的に楽ちん。ということもあり、昨日の段階で日曜日を有効に使おうということでアップリンク吉祥寺で「美と殺戮のすべて」の9時半からの回を抑えておいた。これで一日が効率的に使える。「美と殺戮のすべて」については
まあダラダラ書いているが、それなりにインパクトがあった映画、ドキュメンタリーだった。結局ナン・ゴールディンは「喪失」が金銭的な価値になってしまったことに耐えられなかったのではないかということ、その一言に尽きるのだが、そこに至るまでの思考の過程がダラダラ流れ出しているまとまりのない文章だ。
それはともかく、吉祥寺から帰ってくるとき、ふと思いつき井の頭公園によってみる。花見の季節だし、桜の花を見ておくのも悪くないだろうし、坂本龍一ではないが、自分はあと何回満開の桜を見ることができるのだろうか、という気も最近になってしてきたわけで。還暦も近いから心境の変化か。
とはいえ行く途中からかなりの人混みで、あまり中心部にいく気持ちも起きず、遠巻きに眺めるに留める。桜はカスミになるが、人影は人影にしかならない。
そしてついでのついで、ということで地元の神田川も見に行ってみる。こっちの方が自分としてはお値打ち感があるんだが。
キューブリックの構図のように一点消失が好きなのだ。中心に向かって自分が吸い込まれていくような、絵の中にダイレクトに自分が入ってしまうようなそんな感覚を感じるので。一点消失の構図にものすごく惹かれる。
そして「花月」の稽古。音源に先生から頂いた先生の厳島神社での演能の動画を使わせていただく。厳島の当日のノイズも思いっきり入っており、これをリビングのBOSEでかけるとそれなりの臨場感。「そもそも〜」から通し、面をつけて。もう臨戦態勢なので、やれることは全部やらないと。
そしてコケたところを一人でさらう。まあまあかな。
夜は、大手町パレスホテルに期間限定ストロベリーパフェを食べに行っていた妻と妻と娘、彼女らと地元の駅で待ち合わせて、ご近所の餃子のチェーン店で夕食を食べる。途中で娘は帰ってしまったので。妻と二人でしみじみ酒を飲むが、何を話していいのかわからなくて、沈黙が続く。
夫婦長くやっているとそういうこともある。
無理せず細く長く。絶えることなく。ということで