週末に熟読しちゃった。
「すみっコぐらし」のいいところは、個別のキャラの絵柄的な可愛さもさることながら、それぞれのキャラがそれぞれにそれなりに自分の存在を背負っているところ。
とくに「とんかつ」「えびフライのしっぽ」「とかげ」「ぺんぎん(?)」とか。自らの存在の重みを引き受けて、自分から零れ出てオーバーフローした存在の重みを、望んでいるか望んでいないかはともかくとして、仲間皆で分け合って支え合っていくところが、とにかく泣かせる。
みんな違うのにみんなで仲良く(たまに喧嘩することもあるようだが)、何があってもみんなのことを受け入れる。ゆるい連携、ゆるい関係、それでもそこが心地よく、すみっこがみんなの居場所になっている。
存在の重さを自ら一人で引き受けようとするときっと私小説や哲学になるし、その存在の重さを誰かに転嫁しようとすればきっと政治になる。すみっコぐらしは政治や哲学にならず、ありのままにゆるく過ぎていく時間をただ、だらだらと描いていく。
それが「すみっコぐらし」だ。だからこそ「ぐらし」と言っているわけで、「すみっこ」だけでも成立しないのだ。そんなゆるい生活、「くらし」、それが大事なのだ。この本はそれを如実に示している。
何の解決も序破急も起承転結もない。とんかつは食べられることなく、すみっこにいるし、ペンギン(?)の仲間も見つからない。とかげも自分の正体を決して言わない。
しかし時間は過ぎていく。だから「これでいいんです」ということになる。その思いの外強い肯定のメッセージ。弱いがゆえに強く遠くまで「このままでいいんです」というメッセージが届くのだ。「これでいいんです」というこれ以上に強い肯定のメッセージがあるだろうか。多分、ないだろう。
グダグダ言ったけど、可愛いからいいのだ。最高です!