BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 必然と偶然

 通勤電車の中でふと思って、なかなか気が利いているなあと思い、忘れないうちにこちらに書いておく。
 運命というものが、「自らの存在を超えた強大な力によって支配されたイベントの連鎖」だとするならば、それは「偶然の連鎖」とどこが違うのか分からないのではないかと思ったのだ。
 アインシュタインは「神はさいころを振らない」と言ったが(よね?)、しかし量子力学の世界では、「神こそがさいころを振る」わけであり、神がさいころを振る以上は、確率分布にしたがった事象はすべて「運命」と言えるはずだ。
 不確実性、不確実性と経済学ではよく言うのだが、「不確実」であるといえるのは、あくまでも「確実性」があるのが大前提になっている。しかし、この「確実性」というのは、経済学的に言えば、合理的期待形成であったり、収穫逓減であったり、そもそも現実の世界においてあまりその類の存在を見ないことも方が多い。それに対応して「不確実性」のフレームワークを展開しようとすれば、不確実性をいかに蓋然性に近付けるか、いかに安全にコントロールするか、もしくはいかにその「不確実」をミニマイズするのか、という行為を必然的に惹起する。要するに現実に変化しうる世界をいかに蓋然性を持ったものに作り変えるか、ということが重要視されてしまう。
 しかし、先の述べたように、蓋然性ということ自体が、ある種の数学的、もしくは文学的、哲学的捏造であるとするならば、そもそも「不確実性」などと口にすること自体、馬鹿馬鹿しいことだ。ゴダールではないが、我々は「澄み切った目で現実を」見る必要があるのだ。不確実性をコントロールするのは人一人の能力でできるものではない。我々は謙虚になる必要があると思うのだ。
 偶然は必然であり、必然こそが偶然である。

 それが今日の通勤電車で考えたこと、である。