BearLog PART2

暇な中年の独り言です

グランジ・オルタナは私の生命維持装置

ちょうど中学生から高校生の頃、まだナイーブだった私はまだブレイク前のロッキンオンの愛読者でありました。
ちょうどその頃、四本氏というレギュラーの投稿者がいらっしゃって、前後の脈絡は分からないのだが、「ハードロック(だかヘビーメタル)が入ったウォークマンは街を歩くときの生命維持装置みたいなものだ」という発言をされていたのを突然思い出した。もう二十年以上前のことだ。何でそんなことを思い出したのかと言うと……。
私の物欲ショートリストのかなり高い位置にiPODがある。とはいえ、私はクリエのPEG-NX70Vという二、三世代前のPalmを所有しているので、そいつの音楽再生機能でもいいかと思って、未だに購入を我慢している。
ここしばらく、クリエの中にずっとMassive Attackなぞを入れていたのだが、最近内容を入れ替えた(なにせメモリースティックを1枚しか持っていないので。それもたった128M)。何を入れたかって? Smashing Pumpkinsの「Mellon Collie and the infinite sadness」(2枚組みなので「dawn to dusk」の方)。そしてNine Inch Nailsの「Fragile」(これも2枚組みなので片方だけ)。
ご存知の通り、スマパンにしてもNINにしても、敢えて誤解を恐れずに言えば「爆音」系である。「爆音」と言ってもディストーションがんがんのギターというだけではない。この2つのバンドについては、音の手触り感が他のポップミュージックとかなり性質を異にしているのだ。彼らの爆音がある種のカタルシスをもたらしてしまうことはあるのだが、カタルシス以上に、自分が対峙している現実へのフラストレーションみたいなものを思い出させてくれるのだ。
私も中年の域に達してしまい、社会との違和感なんてあまりなくなってきた今日この頃なのではあるが、それでも渋谷の雑踏を歩いているときなど、不快感を感じることがある。不作法な若者に怒っているわけではない。もっと漠然とした不快感だ。こういうとき、私は明らかに現実に対してフラストレーションを感じているのだが、そのフラストレーションは意識化されずに、その結果としての不快感だけが澱のようにカラダの奥底に沈殿していく。
スマパンやNINは、そういった意識化されないフラストレーションを自らの意識や皮膚感覚の中に取り込んでくれる。爆音を聞いてドラッグきめて踊りまくるという現実逃避ではない。彼らの音楽は、無意識のうちに感じている現実へのフラストを意識化してくれるのだ。この意識化によって、私はフラストレーションを消化していくことができる。彼らの音楽を聴くことによって、漠とした現実に対して怒っている自分を再確認できるのだ。
自らの不快感。怒り、フラストレーションなどを意識化し、それらを取り除くための方策を考え、乗り越えていかない限り、私という存在はどこかでパンクしてしまうはずだ。キレてしまうはずだ。
そう考えると、スマパンやNINは私の生命維持装置と言っても過言ではないかもしれない。彼らだけではない。所謂、グランジオルタナのけたたましい爆音すべてが私の生命を維持するために必要なのかもしれない。二十数年前の四本氏の発言はまさに正しい。彼らの爆音は生きていくために必要なものなのだ。