BearLog PART2

暇な中年の独り言です

5月4日 銀座で三番の能楽を見る贅沢

 昨日やり残した水回りの掃除をして身支度をしてから、いそいそと銀座に向かう。GINZA SIXの観世能楽堂で我が流儀の自主公演があるからだ。しかも先生が「頼政」を勤められるということで、楽しみにしていたわけである。これ以外にも自分自身が厳島神社の神能で勤めさせて頂いた「半蔀」(長嶋輝久先生)と鉄輪(狩野了一先生)ということで、久しぶりに三番全部みることにしたのだった。

 「頼政」はちょっと調べればわかることだが、不遇の人である。その不遇に耐えた人が最後の最後にキレたもののあっさりと時の権力者に鎮圧される、その不遇を描いた能で、執心強い人を好んで描く能の得意領域とでも言えようか。

 キレた原意については、息子の愛馬が原因でひどい平宗盛からひどい仕打ちにあったというのが平家物語で語られることではあるが、それが本当かどうかはともかく、演劇的にはその理由は十分ドラマチックで面白い。

 先生の型は、後場頼政の現世への執心がじんわりと滲み出しており、なかなか素晴らしいものだった。ああいうふうに自分も舞台で演じられるようになりたいなあと思うものの、なかなかそうはイカないのだろうなあ、と。続く「半蔀」、この曲は夕顔の「悲劇」というよりも夕顔が光源氏に出会った恋の喜びを描く曲だと自分は考えているので、ある意味さらさらと演じるのがよいのではないか、と考えているし、そう教わった気がする。今日の「半蔀」はよく言うと「じっくり」、悪く言ってしまうと「ねっとり」というかんじで、それは趣味の問題なのだろうが、もうちょっと軽いさらりとした感じの方が自分の好みかなあと思った。しかしあのゆっくりとした動きがキツイのは自分もよく分かっているので、やはりあの微動だにしない身体の軸、プロはすごいなあと感服することしきり。「鉄輪」は女性の恨みの恐ろしさが素直に出ていて、いい感じな気がしたが、逆にその恨み、嫉妬を表現するという意味ではこちらの方こそ、もうちょっとねっとりしていてもいいかなあ、なんて思ったり。

 それはともかく眼福であった。

 自主公演終了後、出演された先生方との会食がなかったということから、先生と社中の方々何人かで自由が丘まで移動して食事。楽しかった。

 GWも折り返し過ぎた。

 さて、もうちょっとのんびりするかなw