BearLog PART2

暇な中年の独り言です

ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔

遅蒔きながら「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔ASIN:B0000A02EP)」をDVDで見ました。
いいところで終わってしまう一作目と比べて、戦闘シーンから何から見応えたっぷりなのは認めよう。CGがすごいのも認めよう。俳優の演技も認めよう。でも何かが物足りない。見ながら手に汗に握ったのは事実だが、どうも何か一つ足りないような気がする。
それは何なのだろう?
色々と考えてみたのだが、一言で言ってしまうと「破綻しない」ってことに起因するような気がしてきた。
このシリーズはすべてにおいて、「指輪物語」原作の姿をできる限り正確に映像化しようと努力しているってことはよく分かれるし、その努力がある意味で成功したことは否定しない。しかし、映画の語り口が私にとってはあまりに無機質に感じられてしまうのだ。「無機質」というのは、小説を映像に落とし込んでいく際の「こだわり」とでも言えばいいのだろうか。小説がどうあっても映像作家として「譲れない一線」と言えばいいのだろうか。体よく一言で表すと「映像化したときの破綻」とでも言おうか。そんなんでいいのか、ピーター・ジャクソンと言いたい。カンペキすぎる。少しは破綻しろ!とも言いたい。
時に、原作の風味を殺してしまっても、「これだけは!」という何らかの思い入れがこのシリーズからはあまり感じられないのだ。あまりに破綻せずに物語がすらすらと流れてしまうからだ。映像作家が「これだけは!」と固執する部分があれば、映画はどこかが破綻する。その一瞬の破綻こそが、こういう強力な原作を持つ作品において、私が愛する基準なのだ。しかし、「二つの塔」にはその愛すべき破綻がないのだ。
多分、そんなことを感じながら見ているのは私だけなんだと思うけど。
繰り返しになるが、私はこの映画が非常によく出来ていることについては否定はしない。尊敬の念さえ覚える。しかし、「映画でなけりゃあ……」という思い込みというか語り口というか、映像にして語る際の破綻のようなものがあまりになさ過ぎる。壊れてない。もっと壊れて欲しい。
逆に言えば、映像作家から「こだわり」を奪ってしまうだけ、原作の「指輪物語」が豊饒で広大な世界を宿しているということなんだろうけれども……。それを忠実に絵にするだけでは……。原作を読んで自分の頭の中に自分の中だけの「中つ国」をプラモデルのように作り上げている方がきっと楽しいと思う。