BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 ネット空間での個人のあり方

 今日の日経朝刊「経済教室」に西垣氏が「ネット空間では個人は解体されてしまう。生物学的に一つの肉体にありがながら、ネット空間上では複数の人格(ハンドルネーム)が併存する可能性があって、その併存状況にどうやって対応していくか」といったことを言っていたが(要約はクマおたく。詳細は本紙見て下さい)、これって面白い。
 確かにポストモダンの議論の中でフーコーが「人間という概念が波打ち際の砂に書かれた絵のように消えていく……」みたいなことを呟いていたり、ドゥルーズガタリの「機械」論のように、人間がひとつの人格として有機的に統合されているという図式に対する懐疑は別に新しいものではないし、昔、エラリー・クイーンという作家が、実は二人の集合体だったなんてこともあったから、「ネット上では……」といっても「何を今更」といった感じもないわけではないのだが、バーチャルな世界がここまで広がって一般化すると複数の「人格(ハンドル)」というのはやおら今まで以上に身近で現実味を帯びるような気がする。


 一部の人に限られていた「複数の人格、社会的ペルソナ」が我々一般民間人に対しても、非常に簡便な形で利用可能になったわけである。それがどういう結末を引き起こすのかは引き続きウォッチするに値。本件については、今の段階では、落ち、結論等はまったくないけれど、引き続き考察していきたい。