BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 お奨めシリーズ 第四回

Cupid & Psyche 85

 ううむ、懐かしい「Cupid & Psyche 85」!
 これが出たのは私が大学生の頃である。今でもコイツを聴く度にあの頃の青臭い恥ずかしい想い出が走馬燈のように頭の中を駆けめぐってしまう。恥ずかしい表現を使うなら「青春の一枚」ってことなのか?! あ〜、恥ずかしい。
 あの時分、ちょうどヤマハのDXシリーズが出た頃で、多分、このアルバムの中のシンセサイザーの音もヤマハのDX系の音で作ったと思われる音がバリバリに入っている(ようにクマおたくには聞こえるのだが、違ってたらゴメン)。
 何てポップでお洒落な音なんだとびっくりしたのが第一印象。鼻にかかったグリーンのボーカルもかわいい。バックの音もシャカシャカとキレまくっている。リズム隊もすっきり決まる(多分シーケンサーのおかげだと思うけど)。お洒落なくせに鼻につかない、親しみやすい。グリーンの鼻にかかったようなボーカルも小気味よく決まる。リズムの刻み方などはこの当時のヒップホップの強い影響下にあるし、音の処理なんかがレゲエのダブの影響下にあることが、当時を知るオヤヂならすぐに分かる。
 暴力的に単純化してしまうと、ブラックミュージックを白人的に解釈したといったところなんだと思う。しかし、クマおたくの乏しい知識を総動員する限り、こんなに魅力的なバンドなのにフォロワーが現れなかったような気がする。ポップでメロディアスなフォーマットで黒人音楽を解釈するという方法論は誰でも模倣しやすいものだと思うのだが……。
 フォロワーが雨後の竹ののように出てくるための必要条件として「形式化」が上げられる。しかし考えてみれば、スクリッティ・ポリッティのポップさはグリーンの体質なのかもしれない。ヒップヒップをソフトタッチにしたようなリズムの刻み方、シンセのバッキング、そういったものがグリーンの体質に密接に結びついいてしまっていて、切り出して形式化することができないのだ。逆にヘビー・ロックやテクノなどは形式化しやすいため、一つのフォーマットが爆発的に受けると、フォロワーが簡単に出てくる。しかし、スクリッティ・ポリッティの音楽はリーダーであるグリーンの体質がそのまま表現されているため、切り離して形式化することができなかったと考えられる。
 だからこそ、孤島のポップバンド、スクリッティ・ポリッティはクマおたくの唯一無二の「青春の一枚(?)」になり得ているのであった。