BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 週末にまとめ読み

 最近老眼?のせいか、コンタクト装用時に手元の字が微妙に見えにくくなっており、読書がやや億劫になっていたところだったのだが、久しぶりにまとめて本を読んだ。


オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える
オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える
 何かと話題のオシム監督である。
 遅きに失した観もなくはないが、取り急ぎ読んでみた。(誰に言っても信じないだろうけれども)私はかねてから「代表にはオシムを!」と提唱してきたわけで、彼の健康状態を例外とすれば諸手をあげて賛成なのであり、今更本書を読むのはやや後ろめたい感じがないわけでもない(汗)
 最近は報道等もずいぶんとされているから、新しい観点というものは本書ではない。ただ、90年ワールドカップで光り輝いたユーゴスラヴィア代表が、ソ連の崩壊に伴う中で瓦解していき、92年欧州選手権に出場できなくなってしまうあたり、その中でのオシムの人間としての決断はなかなかどうして、素晴らしい。戦争という特異な環境が彼を育てたと言ってしまうのは簡単だが、戦争という環境に対して明確に「否」と答えるオシムの姿勢はもっと素晴らしいと思う。洗練された知性、そしてその知性に裏打ちされた行動。
 言うことは簡単だが実行することは難しいのは世の常。本書を読むことによって、行動することに対してのインセンティブは何に由来するのか?ということを、自らに問い直すよい機会にもなったし、あまり注力してウォッチしてこなかった90年代後半の東欧情勢などについても多少なりとも知見を得ることができたので有益であった。


マンガ入門 (講談社現代新書)
マンガ入門 (講談社現代新書)
 しりあがり寿については、「弥次喜多 in DEEP 廉価版 (1) (ビームコミックス)」等々(その他にも名作は色々あるのだが)、大好きな漫画家の一人である。その人が自らのマンガ制作術を語るのだから読まないわけにはいかない。
 ということでさっそく読み始める。
 基本的には非常にまじめなトーンで終始している。彼自身の発想法やサラリーマン生活との二足のわらじについての回顧、そして「しりあがり寿」というブランドマネジメントの難しさ等々、ファンの私は無条件降伏に近い。
 モノを作る人間としての心構えのところについては、いやはや当たり前のことなのかもしれないが、ちょっとぐっときたところがある。
 モノを作る人は内に「ケダモノ」と「調教師」の二つを持たなければならないというところ。
 「ケダモノ」はまさに創造をする際の「衝動」といったようなものか。「調教師」はその「衝動」をこの消費社会においてパッケージ化して商品として流通させるためのマネジメントをする機能。
 要するに「表現する人はきちんと受け入れてくれる読者のことを意識しよう」という主張で、その主張から何が導き出されるかというと、「売れるものはよい」「自分は売れるマンガを書きたい」「市場に評価させる方がフェアである」というごくごく当たり前だが、文化的活動においては軽視されそうな観点である。
 結局は、「市場」というわけの分からないものの方が恣意性が少なく公平な評価が下されるってことであり、その観点を持っていない以上はプロとしてはやっていくべきではないということを言っているのだ。
 さはさりながら、サスガ!と思うのが、今後はインターネットの中で無軌道に増殖する自己表現者によるプロがより所とする存在基盤が危うくなること、純粋芸術は川上の清水のようなもので、そこが川下(消費者に近いところ)へ流れていくのだといったビジョンは、現状を的確に表現していると思う。こういった的確な現状認識があるからこそ、アバンギャルドなマンガにありがちな「自己満足」的な部分がなく、「しりあがり寿」というブランドが一定層の読者に受け入れられていくのだろうなあと思ったりもする。
 けっこう面白い。ある意味、企業のマーケティング担当が読んでみても「なるほど」と思う部分が多いような気がするが、どうなんだろ?