BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 お金……

 昨日テレビ東京で放映している「ソロモン流」とかいう番組を、たまたまスイッチをつけたらやっていたという理由だけで、見てしまった。出演していたのは作家の村山由佳女史。「天使の卵 エンジェルス・エッグ (集英社文庫)」だとか何だとか、色々とベストセラーを出している作家さんらしい。不勉強な私は最近フィクションをあまり読まなくなってしまったので、よく知らないのだ。
 こちらを見て頂ければおわかりの通り、かなり優雅な生活をしている。都内のマンションで仕事をし、千葉の鴨川で農作業をし、乗馬を楽しむ日々……。毎日汲々と仕事しているような私からすれば、妬ましいほどの天晴れな暮らしぶり、である。
 ナレーションによれば、彼女の著作は、累計800万部以上が売れているという。下世話な私はすぐに計算してみる。ハードカバーで一冊1,500円とすれば、印税10%とすれば、一冊売れる度に150円ほどがちゃりちゃりと音をたてないまでも、彼女のふところに入る計算になり、800万部売れたとすれば、作家になってから、何と、12億円ものお金を稼いだことになる。税金をどう見るかともかく、最低でも6億円以上のキャッシュを手にしたことになるのではないか。
 恐るべし村山由佳
 作家というのは面白い生き物で、私が尊敬する故倉橋由美子の「聖少女 (新潮文庫)」の登場人物にによれば、「言葉を分泌しなくては生きていけないという業を背負った人々で、その業を金銭に替えられる人」なんだそうで(うろ覚えのため文章は正確ではない)、村山女史が紡ぎ出す言葉が12億円になるんだから、そりゃあ大したものだ。
 人々が12億円ものお金を払う「物語」ってどういうものなんだろう?(笑) あまりよむ気ないから一生分からないのだろう。
 それはともかく。
 ゲスの勘ぐりかもしれないが、作家というのは、あるタイミングで「おお、こやつ、Richになったのだな」ということが分かる瞬間がある、ような気がする。作家という人種とあまり面識がない私は、あくまでも彼らの作品からしか感じることはできないので、ひょっとして、的はずれなことを言っているかもしれないのだが……。
 私が一番強烈に感じた例でいくと、トマス・ハリスである。「羊たちの沈黙 (新潮文庫)」(かなり好きな小説である)から「ハンニバル〈上〉 (新潮文庫)ハンニバル〈下〉 (新潮文庫)」(むむむ?な出来だ)へ至るその経緯。その断裂。「ハンニバル」において執拗なまでに展開される、ほとんど不要なまでのフィレンツェの描写。食品、音楽……全部ある意味、自腹切って贅沢できるようになったからじゃないのかなあ、なんて勝手に思っている。
 これって、明らかに自分がRichになって、出版社の取材費だけではない、何らかの贅沢に身を浸したからできることなんじゃないかなと勝手に思っている。金があれば、色々とできることも増えていくわけである。
 バロウズ大先生によれば、「作家は現在を記録する機械」であるらしい。もしバロウズの言っていることが正しいのであれば、、自分の経済状態を自らの小説の中に封じ込めていくはず、である。村上龍は、自らがはまったテニスを「テニスボーイの憂鬱 (幻冬舎文庫)」に封じ込めたし、先ほど言ってようにトマス・ハリスはヨーロッパ豪遊旅行を「ハンニバル」に閉じこめたし、贅沢できなかったドストエフスキーは自らの病気と怨念を自らの作品に封じ込めた。

 金を封じ込めた作品って、何となく分かるような気がする。

 あ、村山由佳女史については、読んでないので分かりません。テレビで見ただけですから(苦笑)

 オチがなくて申し訳ない。ここまで読んで下さった方、ありがとうございます。