BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 私には価値がありません(笑)

 定期的に自らの「価値」というものについて考えるのだが、ペシミスティックな私としては、自らの存在にあまり「価値」を見出せないのが実情だ。自分が居なくても世界はきちんと動き続けるし、私の不在によって心に傷を受ける人もそう多くはないと思う。三、四人くらいだろうか。そう考えると、案外自分はいてもいなくても変わらない、道端の石ころ程度なのだという自己認識をすべきなのではないかと思ってしまう。
 ただ、自分が生きている以上は、自分になにがしかの「価値」があると信じたい気もするのだが、まああまり「価値」はないだろう、というのが私の実感ではある。
 そう考えていくと、普通の思考サイクルからすると、暗いデフレスパイラルに落ちて行くことになると思うのだが、私の場合はどういうわけかそうはならない。
 簡単なことなのだが、「価値」がないということは、すなわち、制度やシステム、といった網の目から自由だということだ。「価値」が同定されてしまうということは、社会の中の制度やシステムの網の目の結束点として存在していることと同義だと思うのだ。だからこそ、「価値」を持つものは、制度やシステムから自由でいることはあり得ない。
(ぶっちゃけて言ってしまえば、ほら、会社でキーパーソンが辞めると言い出すと結構慰留されたりして、大変じゃないですか。あれと同じことです。)
 だから、自分には「価値」がない故に、束縛されるものがないわけで、究極に自由であり、何をしてもいいのだと徹底的にお気楽になれる、と思うのだ。
 自分自身に価値がないゆえに自由なのだ、と思うと、どういうわけか私はけっこうご機嫌さんになってしまう(笑)

 よって私は付加価値ゼロなのだ。昔流に言うと、非国民という表現になるのだろう(苦笑)。
 ムーミン谷のスナフキン、ってのが理想型。