BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 ルールにのっとる?

 私ごときが、「ルール」と言うと「何を?」と思われる方も多いと思うが(苦笑)、「アサッテの人」を読了したことは、先日のエントリで書いたとおりだが、ふと今日思ったことがある。
 この「アサッテ〜」については、「小説」というルールにのっとっていない小説、であることが売りである。また、「この小説は『小説』というルールにのっとっていないよ」と作者自らが公言してしまう小説でも、ある。それは、野球をするよって言っているのに、サッカーのユニフォームを着て現れるようなものであり、それは「小説」という構造それ自体が持っている限界をうまくすり抜けていると言えば言えるのだが、小説という構造それ自体の限界、に対して真摯に向き合っているというものではない。
 要するに、ある種の「逃げ」と見えないこともない。先のメタファーで言うならば、「野球やるのはいいけど、ぼくはサッカーの格好でやるよ」ということであり、制約条件の中で作品の最適化は図られるものであるにもかかわらず、最初から制約条件を無視していては、クラスに必ず一人はいるであろう、「勉強できないくせに難しい本を読んでいる嫌われ者」というのと同じレベルの存在だ。
 ルールから派生する構造は、作品に対して明らかに制約を課す。しかし、その制約の中でスッタモンダすることが、何よりも重要なのではないか、と思ったのだ。それが「ルールにのっとる」ということだし、ルールにのっとりつつ、ぎりぎりのところで、そのルールを裏切る努力を、作家はしなければならないと、僭越にも思うのだ。
 とはいえ、芥川賞受賞作品について、これだけクダクダ、私が言うのは珍しいことだ。いつもは関心すら持たないのに。まあ、そう考えると「アサッテ〜」はよい作品なのかもしれない(笑)