BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 筋肉バカの壁

 水道橋博士の健康オタクぶりは常々有名であるが、これは彼が「山本キッドと同じ体型になってマラソンを完走する」というある種の妄想に取り付かれ、それを実行するにあたっての日々の奮闘を忠実にドキュメントしたものだ。だからこそ、芸人の余芸かぁと侮るなかれ。だって、この書物の中で水道橋博士はこうも言っているからだ。
 「三島由紀夫の無念を晴らすべく、俺が筋肉の鎧をまとい、石原愼太朗が主催する『東京マラソン2007』を完走することで、半世紀越しの意趣返し、復讐をしようではないか」
 この一文を書けるだけで、並の男ではないことは明か。
 この一文でぐらっときた私は、思わず立ち読みを止めて、まるで三島由紀夫の亡霊ににらまれた(笑)ようになり、そのままこの本を手にとってキャッシャーに出来た列へと我が身を進めざるを得なかったのである。
 私も知らなかったことなのだが、石原は、かつて三島のボディビルを「三島の作品が健康な肉体に支えられていること」「(三島の)ボディビルについて世評はいろいろ勝手なことをいうが、あれは氏の当然なひとつの文学的要求でもあって、いわば氏の美意識を自らの肉体へ還元せんとする一種の文学的造詣の試みなのだ」と称えたにもかかわらず、後年「氏があるいは他の位相において天才だったかも知れぬということを逆に明かすほど、氏には天才的に肉体の才能がなかったとしかいいようがない。無惨な言い方だが、天はそんなに甘いものではない」とまで言い、三島の肉体と精神のギャップを痛烈に批判するようになったのだとのこと。
 水道橋博士はそういった背景を踏まえて、「肉体的才能」のない者の一人として、筋肉の鎧を身につけ東京マラソンを完走し、意趣返しをするという。
 日本の文壇がもはや「アサッテの人」のように「小説」という陳腐な表現形態をオナニーのように何度も何度も手慰んでいるうちに、漫才師である水道橋博士はあっさり、「三島」という悪い意味で肥大化してしまった自意識と、三島とはまったく別の形で肥大化してしまった「石原」という自意識を対決させようとしているではないか。これはもう、あまりに面白くて読むしかない、のである。
 ってなことで、読了したのだが、面白さは間違いない。
 ただ、私自身が、自転車やジョギング、ウェイトトレーニングを日常的にやっているために、肉体の鍛錬という意味で、興味の対象が博士とかぶっているため、30%くらい面白さが増量されていることも間違いない。
 ただ、そこにはある意味、自らの肉体を実験台として「人体実験」(放蕩三昧も人体実験だろうし、薬だって人体実験だ)をした結果を記述することが、いい意味での「私小説」とするならば、これはまさに「私小説」。凡百の文学者は、水道橋博士の前に平伏すがいいだろう。
 ってなことで柄にもなく興奮してしまったが、本当に面白いです。同年代の方、自らのメタボぶりを嘆く前にご一読あれ。三島由紀夫の亡霊があなたにもとりついてくれるだろうから(笑)

筋肉バカの壁 [博士の異常な健康PART2]

筋肉バカの壁 [博士の異常な健康PART2]