BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 サイボーグ?

 朝一番、久我山病院の眼科へ。緑内障の定期健診だ。担当してくれていた先生が異動になったらしく、今日から新しい先生が診察をしてくれた。眼圧は安定して下がってきており、毎月だった検診も二ヶ月に一回でよくなった。なので。次回は6月に検診がある。
 病院の待合室で、隣に座っていたお婆さん二人の会話が何気なく耳に入ってきた。
「今日はね。入れ歯入れてないの。入れ歯入れると喋りにくくてしかたねぇからさ」
「わたしゃ、脳梗塞やっていらい、両足が痛くてねぇ」
「年取って一人でいるとさ、どんどん頭の中で色々妄想が出てくるんだよ。うちの向かいのお婆さん、一人暮らしだけどさ、毎日毎日、下着取られた!って騒いでいるんだけどさ、何も八十の婆さんの下着なんかとらないよ。二十歳の女の子のパンティならともかくさぁ。しかもね、自分は昔は東京医科歯科大学を出て医者をしていたとかさぁ。どんどんもう妄想膨らんでるのよ」
「ほら、今日は目にさ、白いもんできちゃってさ。それで来ているんだよ……」
 とまあ。
 とにかく、色々と。黙って聴いているとなかなか深い?ことを話しているわけである。
 話はまったく変わるが、米国にいる友人から「Perfumeの売り方って面白いですよね?」というメールを頂戴して、Youtubeなどで超遅ればせながら、この少女三人組ユニットをチェックしてみたのだが(流行っているのは知っていたが、実物は全然しらなかったのだ。オヤジはいかんですなぁ)、音楽にしろ振り付けにしろ、すべてが微妙にぎくしゃくしていて、有機的な統一感がないところが、このユニットの魅力だと感じたのだ。メールをくれた友人曰く「初音ミクと人間の境界がなくなる」とのことで、それについては、有機化合物として目の前にある「物体」ではなく、電波等々の媒体にのった「情報」としての「物体」という意味では、もはやデジタル/リアルの境界線はないのだろう。
 しかも、そこで、人々が魅力を感じるのは、リアルでさえも、ある種の「ぎこちなさ」というか、平仄の合っていないところなんじゃないか、と思うのだ。「攻殻機動隊」主人公の女サイボーグ草薙素子も、戦闘場面こそ一部の隙もないわけだが、基本的にはサイボーグである自分の存在を日々疑っていたりして、精神的には自らの体とゴーストとの折合いをつけていない「ぎこちなさ」を内包している。
 この「ぎこちなさ」というものを、「サイボーグ的リビドー」であるとするならば、究極の身体的ぎこちなさを内包している、病院に通うお婆さんは、究極の「サイボーグ的リビドー」を身につけているとも言えないだろうか。