BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 ラッダイト運動?

 「エヴァンゲリオン」のテレビシリーズをDVDで連続して見ているせいなのだと思うが、今朝、通勤途上で、「今、巨大な敵性存在が出てきて、街を破壊したらどうなるだろう」という、ある種の憧れのような妄想を広げた自分に気付いて失笑した。
 あまりにも「単純」で接種した情報に安易に影響を受けやすいというのは、私の幼児期からのさして威張れない大きな特徴ではあるのだが、それにしても自分の阿呆さ加減にはいい加減愛想が尽きてしまう。
 さはさりながら、以前ピンチョンの「ヴァインランド」を読んだとき、その解説文(だったと思うのだが、違っていたら申し訳ありません)に、ピンチョンが「ラッダイト」に親近感を持っているということ。それが「ヴァインランド」の中で出てくる明らかに「ゴジラ」の引用と思える東京の大破壊の話などに繋がっているとのこと。
 ということは、私が見た妄想も無意識のうちで、人間を未知の領域に推し進めてしまう科学技術に対する反抗なのか?などと妄想についての妄想を育んでしまった。ラッダイト運動は生産技術に対してのみ、その暴力の刃をふるうこととなったのだが、現状においては、生産技術ということではなく、もっと広範囲なITという薄弱な神経系によって繋がった新しい社会システム全般が、その刃にかかることになるだろう。物理的な建築物だけでなく、人と人とのネットワーキング、その張り巡らされたか細い網、社会システムの神経系が破壊の対象となるのかもしれない。
 でも、そう考えると、私の妄想はあくまでも20世紀的な「ゴジラ」や「鉄腕アトム」の範疇を一歩も出ていない。
 20世紀的、昭和的妄想。
 我々の自我は複雑に張り巡らされた社会システムのネットワークの中でがんじがらめになりながら、自らを拘束する実態のないネットワーク網を破壊するために、無意識下の巨大な破壊の神、まさに異形の神を捏造する。

 ネオラッダイト運動はむしろ、巨大化した敵性存在ではなく、ナノのレベルにあるのかもしれない。
 その方が21世紀的な気がしてきた。