BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 理由のないこと

 NBオンラインの糸井重里のインタビューが面白い(囲み内は引用)

 なぜかみんな、「理由のないこと」が結構、許せなくなっているんですよ。

 正しくて、役に立って、見たり使ったりするための時間を消費するだけの、はっきりした理由があらかじめ、ある。そういう「公」に認められたものだとかことだとかしか許さない。そんな傾向があると思います。

他人の話を参考にするのはもちろん大事ですし、必要なことなんですけど、それが過ぎると、他人はともかく「私」にとっては面白いかも知れないモノからどんどん遠ざかってしまうかもしれない。結局、ダメな映画を見ることを厭わないことが、自分にとって宝物になる映画に至る近道なんですよ。遠回りのようでいてね。

 ここでは映画の話になっているけど、自転車でもグルメでも何でもかんでもそうなんだと思うわけで。つまりは、みんなが言うことよりも、自分自身の皮膚感覚を素直に信じることが大事で、皮膚感覚を磨くためには、失敗もたくさんしようよ、ってことは、当たり前のことなんだが、このインタビューを読んで、再認識。

そう。意味がよくつかめないけど、でも、なんだか面白い、って話。これは、「私」の中の深いところ、どこかに、まだ見えないけどつながっている話だから「面白い」って思うんですよ。意味がわからなくても、面白い、と感じたら、とりあえずアプローチする、っていうのは「公私混同」の「公」に引っ張られすぎないために、身につけておくとおトクな習慣、じゃないでしょうか。

 直感や皮膚感覚は、何らかの論理的な展開の予兆なんだと考えてみると分かりやすいか。

 皮膚感覚に正直になる→自分自身を信じる→自己をあるがままに受け入れ肯定する→自分の琴線にひっかかるものにトライする→気が付くと何らかの線によって「意味が分からなかったけど面白いもの」がつながっていく……
 みたいなことか。
 当たり前のことだが、再認識、である(苦笑)