BearLog PART2

暇な中年の独り言です

投資銀行ビジネスモデルの終焉?

 あちころで書かれていることなので、別に私が敢えて言うことでもないけれど笑

 アメリカの名だたる投資銀行に対して、日本の金融機関がこぞって出資をしたり、営業権を買ったりしているわけである。細かい事実については、私がここで書くまでもない。新聞報道の通りである。
 私が10年以上前にとレーダーをしていたときによく言われていたことが、「日本人が買ったら相場はおしまい」というようなことである。今回の横並びにも近い、米国投資銀行への日本勢の出資を見ていたら、ふと閃いた。
投資銀行のビジネスモデルは終わったのではないか?」
 なぜなら、日本人が買っているから。以上証明終わり。
 というのが本音なのだが笑、それだけでは何なので、多少なりともロジカルに考えてみたいと思う。(似たような話はあちこちで語られているけど、自分なりに整理)
 投資銀行のビジネスモデルは、リスクを売りたい人とリスクを買いたい人の間に仲介で立ち、その仲介として鞘を抜くというビジネスモデルが基本。とはいえ、それだけでは「鞘」は競争市場の中でどんどん低下していくのは明らかだ。
 ではどこで彼らの超過利潤が出ているのか?(これもあちらこちらで語られている話だけど)結局は、仲介者の立場を捨てて、レバレッジをきかせて、自らリスクテイカーとして、ポジションを持つことによって、その超過利潤を生み出さざるをえない。リスクをとらなければ、超過利潤も得られないって、当たり前のことじゃんと思うなかれ。日本人はその当たり前の感覚がない人があまりに多いと思うぞ笑 とにかく、Free lunchは現実世界にはありえない。
 いったん相場が逆にふれれば、レバレッジによってリスクをとっている人は、倍付けで痛む。資産は腐り始め、それに紐づいた借入だけはきっちり残る。いつか来た道、、、なんである。
 今回の騒動を脇で見ていて思うのは、今までの金融不安のサイクルでは、レバレッジが高まって、ほどけて、、、という繰り返しに過ぎなかったのだが(羹に懲りて膾を吹く?)、今回はちょっと構造が違うような気がしている。だから敢えて「終焉」と言っているわけなんですけど苦笑
 それはどういうことかというと、レバレッジの程度の問題ではなく、本質的なアービトラージが不可能になっているのではないか?ということだ。レバレッジがきくということは、ある程度のキャッシュフローが出ることが前提になっているわけで、このキャッシュフローの向上が可能(その場合、トップラインを上げていくというよりも、どちらかというとコストカットがメインの方法になるだろう)という前提でアービトラージが可能になっていたが、もはやそんなアービトラージプレイができる優良案件も少なくなってきたはず。だって、これだけ色々なファンドが世界をかけずり回っているわけだから笑 優良案件は逆に値段が上がり、そのせいでさらにアービトラージの余地は少なくなるはず。ほっほう。理論価格に収束しているわけですな、ここでも。
 昔、自分自身が金利のトレーディングをしていたとき、世界的な低金利の中で、金利ボラティリティがどんどん下がって、金利のトレーディングで収益を上げることが難しくなってきたことを実感したことがある。
 いってみれば、それと同じ話だ。世の中には、アービトラージできるようなデッコミヒッコミがどんどん減ってきているのだ。
 逆に言えば、企業の成長によって、バリューをあげることによってのみしか、投資家は報われない、、、という世界がやってきているのだと思うのだ。
 グロースでしか、バリューを出せないとするのであれば、レバレッジに頼る必要もない。必要なのは、気合と根性、、、だけになる、、、ような気がする。
 だらだらと書いたけど、長文ご容赦。オチはあまりなかったですね笑 フラット化するのは通信料金だけではなく、世界のすべてのものが理論価格に収束し、フラット化していくってかんじかなあ。
 ある種の終焉だな。一般均衡論的にいえば、ありえる世界ではある。