BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 面白過ぎて笑っちゃう

 別に私がここで言っても目新しいことではないのだが、産經新聞iPhoneアプリを出している。このアプリは面白くて、産經新聞の紙面が全部iPhone上で読めてしまう、しかも無料で、という非常に潔いサービスなのだ。別に産經新聞を読む動機はほとんどないのだが、紙面がそのままiPhoneで見れてしまうという倒錯したかんじを味わいたくて、たまに見てしまう。ご関心のある方はApp Storeをみて頂ければすぐに分かります。
 で、何気なく、今日の産經新聞の朝刊の一面を見ていたら、「古典個展」という、面白くもない語呂合わせのコラムが載っている。立命館大学教授の加地伸行という方が書いていらっしゃる。
 このコラムのトンデモぶりが凄くて、思わず書いてしまう。
 まず冒頭。孫の幼稚園の卒園式がいかに素晴らしいかについて滔々と述べている。この幼稚園児が小学校に進学して、その中から優秀な人材に出てくることに思いを馳せていらっしゃる。老境の方らしい感慨と言えよう。
 で、いきなり論調がかわって、唐突に「教員にはお粗末なのがいる」と出てくる。

例えば大阪の門真市立第三中学校の教員ども。昨年の同校卒業式において、国旗に対して起立表敬をせず、国家も唱和しなかった。理由は自分の良心に反するからだと。

次に大学の教員にもお粗末なのがいると続く。

例えば浅井基文なる者が毎日新聞3月10日付「新聞時評」にこう書いている。『特に毎日、朝日は、他の全国紙に比べ公平性、中立性が高いとみられている』と。思わず嗤ってしまった。毎日、朝日といえば、左翼的であることは周知の事実。それを『公平性、中立性が高い』とは、見識のかけらもない。こういうのをチンドン屋という

 そして、彼の結論は、

学校の種類を問わず、この種の教員はいくらでもいる。教員として劣化しているわけである。彼らは教育を職業とする以上、研修させる必要がある。

 とくる。劣化?劣化って何だ?
 で、どこで研修させるかというと、「幼稚園が最善。」となるのである。
 このコラム、あまりに面白すぎて笑ってしまった。いちいち言うのもなんだが、このコラムのおかしな点をあげてみよう。

  1. 「教員にはお粗末なのがいる」というその「お粗末」の定義がはっきりしない。国歌・国旗への表敬をし、毎日・朝日を左翼新聞と見なす教員が優れた教員なのか?と突っ込みたくなってしまう。
  2. 教員はあくまでも「教育」のプロであるから、彼がどんな思想/信条をもっていようと、「教育」というものの「技術」で評価されるべきだろう。大袈裟な話をすれば、国歌を歌わない優秀な教員というのもいるだろうし、国歌を喜んで歌う優秀でない教員というのもいるだろう。前の段とかぶるが、こういう突っ込みを許してしまうのは、「お粗末」の定義がはっきりしていないからである。
  3. そもそも毎日・朝日が左翼的ということも、別に周知の事実ではあるまい。毎日・朝日を客観・中立・公正ということもおかしいが、左翼的と言うことも、それと同じくらい根拠の無い主観的な発言に過ぎない。
  4. 「お粗末」な教員の研修の場として「幼稚園」が最善とする根拠があまりにも薄弱。一応、その理由は、「そこ(=幼稚園)には教育のこころや原点すなわち教育の根本がある。」ということだが、何で幼稚園に「教育の原点」があるのかこちらも根拠が薄弱である。お孫さんの卒園式が素晴らしかったから、幼稚園はいいなあとおっしゃっているのか、それとも幼稚園レベルから出直せとおっしゃっているのか。後者であれば、まじめに幼児教育に取り組んでいらっしゃる幼稚園関係者の方々に失礼なのではないか(笑)

 私は別に国旗の問題も国歌の問題にもあまり関心はない。識者の方々に議論して頂ければよいと思っているので、私が言いたいことは国旗/国歌問題ではない。
 ただ、この加地教授がおっしゃっていることは、私のような者でも、一つのコラム/エッセイとして読んだとき、論理的でないなあと感じるくらいなのだから、相当にスゴいレベルなのではないかと思ったのだ。これは思想信条の問題ではなく、あくまでもレトリックとして破綻しているということが言いたいだけである。ま、加地教授も私のような下賎の者には言われたくはあるまい(笑
 いやはや。最近流行のモンスターは新聞の一面にもいるからすごい(笑)
 ちなみにweb上ではこちらで見れます。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/090329/edc0903290319000-n1.htm