ここ最近、「考える」ということについてよく考える。
自分自身、あれやこれやと「考える」ことは嫌いではない、というかむしろ好きな方だと思う。
最近、社内のプロジェクトで「MECE」だとか「SWOT」だとか、「ロジックツリー」だとか、色々な思考ツールみたいなものをほじくり返しているのだが、こういうツールってよく考えられていて、非常に便利ではある。
でもどうだろう?
アインシュタインが経営について考えたとして、多分上述のコンサルタント的なTIPSというかツールを使わなくても、普通に物理学で鍛えた頭で、多分正しい答えを出してしまうと思うのだ。ただ彼はたぶん企業経営に関心がまったくなかったから、そういうことをしていないだけ、の話。
思考ツールは「ツール」である以上、手段だから、目的ではない。でも、その「ツール」を使うことが自己目的化してしまうことは、よくある話だし、本質的にモノを考えたことのない人が陥りがちなブービートラップだ。
だからこそ、思考ツールを揃えることに血道を上げていると、色々な大事なものを見失うことになるのだ。すべての思考ツールを使って分析をしたから大丈夫、なんていうことは絶対にないわけで、そのツールのメッシュからもれてしまう詳細な情報にこそ価値がある、と思ったりする。
その詳細な情報を救い出し、そこに光をあて、穴の開くほど見つめてみること。それこそが、考えることに他ならないと思うのだ。
ツールを自在に使うことは必要条件であっても、それがプロのホワイトカラーとしての十分条件にはなりえない。
って、何がきっかけということはないが、漠然とそう思っただけ。