BearLog PART2

暇な中年の独り言です

久しぶりに文章を書きたくなったので……

 スティーブ・ジョブズが亡くなって、色々な人が色々なところで色々なことを語っているので、私ごときが語ることはないのだが、敢えてちょっとだけ思ったことがあるので、完全に私的な備忘録としてこちらにしたためたいと思うわけだ。

 そもそも。マッキントッシュの有名なCMで「1984」というのがあるじゃないですか。


 リドリー・スコット監督の有名なCM。結局、ホストコンピュータとターミナル端末といったメインフレームに対するアンチテーゼとして、リッチなUIを可能にするマッキントッシュが出てきたということなのは、私ごときが語る必要はないと思われる。
 しかし。しかし、である。
 クラウドコンピューティングというものを考えると、あらゆる端末がネットを経由してサーバーサイドにつながるということは、それって、何となくホストのフレームワークと近いのではないか?と最近よく思うのである。ま、テクノロジー的には全然別のものであっても、データを一箇所にためて、そこでプロセシングをして、端末レベルにフィードバックしていくのって、UIのリッチさは大きくことなるにしても、発想としてはP2Pというよりもホストコンピュータのそれと親和性が高いような気がするわけだ。ま、P2Pが商売になっていないという現状を含めて考えてみても、なかなか示唆に富んでいるのではないだろうか。
 ということは、ジョブズは、1984から2011にその生涯を閉じるまでの間に、PCによるローカルな処理から、クラウドという中央集権的な(=ホストコンピュータ的な)世界へ戻ってきたというようには見えないだろうか?(牽強付会でしょうか)
 つまりは、結局は灰色の死んだ魚の目をした人々の世界観をぶち壊したジョギパンの姉ちゃんがホストを壊したわけだが、今度は逆にジョギパンのお姉ちゃんが灰色の無表情軍団にやっつけられてしまうように、、、私には見えてしまうのだ。その生涯で、ちょうどコンセプト的には一巡したということにならないだろうか?
 そもそも、ジョブズってヒッピーだったし、カウンターカルチャーな人だったと思うのです。そのカウンターカルチャーな、ホストではなくローカルをエンパワーしていくという発想でのPCから、クラウドという中央集権的なコンセプトへ戻っていたということは、ヒッピーがスーツを着たみたいには見えないだろうか?
 これって、カウンターカルチャーを資本主義という強力なシステムが搾取した果てに出てきたことなのではないか?と思うと、個人的にはさらに追求してみたい課題だったりするわけである。
 考察は続く。。。