BearLog PART2

暇な中年の独り言です

林真理子女史、あれこれ

 どうでもいい話であるが。
 ここ最近、テレビで林真理子を二回くらい見た。一回は、確かNHKの「あさイチ」か何かにご出演していたとき。二回目は、確か「金スマ」で。
 ファンの方には申し訳ないのだが、私は林真理子女史がどうしても好きになれない。それだけの話ではあるのだが、テレビの画面で彼女がしゃべっているのを見ていると、特に理由がないのに、「この人、苦手だなあ」と思う。それだけの話ではあるのだが。
 私は比較的論理的な人間であると自分では思っている。自分がやったこと、やることに対しては、比較的きちんと論理的に説明することができると自負している(勿論、全部が全部ではないけれども)。
 しかし、しかし、である。
 林女史に対する自分の「この人、苦手だなあ」という感情が、どうして発露するのかが、どうしても分からないのだ。人の感情全部に理屈がつくかどうかで言えば、「皮膚感覚として嫌い」とか、そういうこともあるわけで、理屈なんかなしに、苦手、嫌い、というケースはそれなりにある。
 でも、何で私は林真理子女史のことが好きではないのか?ということを、自分自身でも納得がいくように、自分に対して説明したくなったのである(笑)。まあ、まったくもって意味のない願望なんであるけれども。
 そこで考えてみた。
・彼女が美人ではないから?(別にそれってどうでもいいことだし、美醜に由来する感情ではないことは分かる)
・彼女が売れっ子作家だから?(自分も、物書きで当てたい、とさりげなく思っている自分からすると、嫉妬・羨望?これはあるかもしれない)
・彼女が金持ちだから?(これもあるかもしれない。嫉妬・羨望?)
 上記3つがそれなりに当てはまることは分かるのだが、何だかそれらが決め手ではないような気がする。勿論、気がする、だけなんだが。
 説明がつきそうにない。
 そこで、私はこう思うようにした。
林真理子とは、私の無意識の投影なのではないか。きっと、私の無意識は、こういう風に常日頃考えていて、このように振舞いたいと思っているに違いない。金も欲しいし、幸せにもなりたいし、編集者に無理もいいたい。美味しいワインも飲みたいし』
 そう思ったら、何だか納得できた。

 そうなのだ。
 林真理子女史は、私の無意識の声を現実に代弁してくれているのだ。
 だから、私は、自らの内なる声に対して、それを額面通り素直に受け取ることができないでいるのだ。

 納得したけど、まったくもって無意味な思考実験であった(苦笑)。