BearLog PART2

暇な中年の独り言です

「頑張らない」、でも「全力を尽くす」ということ

 私を直接ご存知の方におかれましては、既知のことだとは思いますが、私は「頑張る」ことが大嫌いです。「頑張る」ことは自分の美学に反するのであります。今までの人生、「真面目にやったこと」はたくさんあるし、「全力を尽くしたこと」もたくさんあるけど、「頑張った」ことはありません。
 頑張る
 この「頑張る」というのはフェーズが二つあると思うわけです。ひとつは本番前の準備の段階。もうひとつは本番当日。本番前に頑張って無理しても、本番までには息切れするし、本番当日に頑張っても、いらぬ力が入り、うまくいくものも絶対にうまくいかない。
 だから、頑張ってはいけないのです。
 しかし、準備と本番双方について、「全力を尽くし」たり「真面目にやったり」する必要はある。自らの力を出し惜しむことなく、真面目に取り組むこと。「おいおい、それが頑張る」ということだろ?というツッコミが直ぐに来そうですが、そうとも言えます。
 でも、個人的な言葉の皮膚感覚からすると、「頑張る」と言った瞬間に、何だか方向がズレるような気がするわけです。「頑張る」と言った瞬間に、星飛馬の「大リーグ養成ギブス」が目に浮かぶわけです。思いコンダラ、が目に浮かぶわけであります。
 その語感が大嫌いなわけであります。頑張る=無理をする、ということ、またそれ自体が本来の目的を離れて、自己目的化する恐れを孕みます。しかし、「全力を尽くそう」と言っている限り、そういう事態は起こらないような気がします。
 だから、娘には、「お父さんは頑張らないよ、ただし全力を尽くそうと思っているけどね」と日々語っていたら、今朝、妻から怒られました。
「あの子は『お父さんは頑張らないんだよ』と言っている。あんたの一言を隠れ蓑して、最近ちょっと態度が悪い」
 むむむ。
 娘よ、敢えて君に繰り返そう。お父さんは、「頑張らないけど、全力を尽くそう」と言っているのだ。誰が後段を省略していいと言ったのだ???
 子供に真意を伝えるのは本当に難しいですorz