BearLog PART2

暇な中年の独り言です

90年代的ラウドさは内省的で静謐である

ここしばらく、通勤の途上で、ずっとスマッシング・パンプキンズやナインインチ・ネイルズを聴いていたりする。彼らのラウドで歪んだ音が非常に心地よいからである。これについては前に書いたものにクドクドと書いているのだが、まあそれはそれとして。
70年代後半において、リズムの様式こそ違えども、ある種のハードロック・ギタバン的フォーマットにのっとって、セックス・ピストルズや初期クラッシュなどが「パンク」を展開したのは誰もが知っていることだ。彼らは社会に対する不満・抗議・敵対的姿勢を表現する際に、ディストーション・ギターを用いたわけである。彼らにとって歪んだギターはあくまでも「外」に対して発散するものであった。
しかし、90年代に入って、グランジオルタナが爆音を響かせたとき、それは「外」に対する爆音ではなくなっていた。あくまでも自己の内側へ、内側へと内省的な視線を投げかける爆音だった。
外への怒りではなく、自己への視線。それが90年代的な爆音、ラウドネスだったような気がする。
彼らがどんなにギターをかきむしっていても、それは静謐な響きでぼくらの身体の中を満たしていく。