BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 潮目

 潮目が変わったのかな、と思う今日この頃。
 「市場」というものを通して、資源の再配分を行うという当たり前の資本主義に移行しようとしていたのが、ちょっと前までの日本だとしよう。「自己責任」「競争」「規制緩和」といった流れの中で、日本の「世論(といってよいのか?)」は、「護送船団」「株式持ち合い」「談合」といった、「市場」を通さない資源配分の方法に対して「No」という叫びを上げていたような気がしていた。しかし、それはまさに「気がしていた」ということであって、多分現実には何も変わっていなかった、もしくは変わろうとしていた矢先に大きな揺り戻しがきた、というのが、ここ数日に起こったことなのではないかと思っていたりする。
 潮目が変わったのだな。
 別にMさんがどうだとかHさんがどうだとかLDさんがどうだとかPちゃんがどうだとか、Rもやばいんじゃないの?といったことは、どうでもよい。そういったターゲットたちをスケープゴートとして、血祭りに上げていく過程と、そこでの「世論」なるものの動き、フラクチュエーションってのは個人的には、「なるほどなあ、潮目が変わったなあ」という感慨を抱かせるには十分すぎるくらい。
 この潮目って私にとってはどうなのか?
 個人的には「市場」を通しての資源の配分というのは、「Second best」だと思っているが、それ以上の対策は現状の人間の生態系では発明されていないので、もっといい仕組みができるまでは使い続けるしかないわけである。必要悪ってやつだ。潮目が変わった段階では、私が携わるビジネスでは、愚直をテーマにやってきただけあって、特に影響はないだろう。
 ただ、「市場」の果て、は、市場が行き着くところまで行って、初めて見えてくるものだと思うので、このまま「市場」の果て、を日本人が探検していくという行為がネガティブな物と認識され、その動きが途絶えてしまうことは、ちょっと残念かな、と思ったりする。

 などということを、とある方々とミーティングしながら思った。
 そのミーティングの席上、「サイボーグ」と言われる私が、ちょっとほろっときた。外的要因にあがなえない自分が哀しい。

 あ。「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」の受け売りかも(汗