BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 グルーグマンにノーベル経済学賞

 強烈に政治的な意図アリアリですなあ。ここまでくると悪意を通り越して、無邪気さすら感じる。

 クルーグマンの著書はいくつか読んではいるのだが、そうだよねと膝をうって同意できるようなものはあまりなかったような気がする。個人的には、「市場くらいでしか財を配分できないんだから、市場を信じるしかないじゃん。勝ち逃げしようぜ」くらいのモラルの低さだったから、クルーグマンが言うことについては、一理あるねえとは思いながらも、心底納得してしまうかんじではなかったのだ。
 それは私見だから、どうでもいいとして、それにしてもノーベル経済学賞なのだ。このタイミングで。要するに、世界中がアメリカの経済システムについて「No」と言いたくなっているとき(気分的なものだ。あくまでも)、クルーグマンは絶好のアイコンなんだってことだろう。
 っていうか、ノーベル賞の中で、「経済学賞」って、もっとも意味のないものであるという気もする。ってか、所謂「経済学」じたいが意味ないっていうか、そもそもあとづけ的にしか、事物を説明していないというか。
 (超極論してしまえば)連立方程式を解くことが経済学であるという域を超えないと、物理学は物質の根源に迫り、哲学の領域を食い荒らしているというのに、経済学じゃあ近所の八百屋の野菜の値段も説明できないって事態が何百年も続くことになる。
 経済思想はすべて、何らかの政治思想を持つ。だから、経済だけで独立させて「論理」として一本立ちさせることに意味はないと思うのは私だけだろうか?
 経済学に幸福な死を与えるべきでは?とかつて理論経済学をわりと真面目に学んだ、私は思うのだが。