BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 吉祥寺へお散歩・欽ちゃん

 吉祥寺へ出て、ユアサヤやロフトで写真整理の材料を買う。式や旅行の画像を整理するためだ。写真もできあがってきており、いいのもあれば、被写体の力至らず、イマイチのものもある。
 結局は被写体の力がないから、イマイチなのだと思うのだ。

 で、欽ちゃんである(唐突な場面転換)。
 もともと、野球団解散のきっかけとなった事件については、妻の見解では、きっと他にも関係していた人がたくさんいて、山本氏だけがスケープゴートとなって血祭りに上げられたのではないかとのこと。妻の説明を聞いて、私もその可能性を感じてしまった(笑)
 妻の見解を受けた上での私のゲスの勘ぐりでは、被害者の方が政治的もしくは経済的な分野での有力者の子女だったからではないかということ。
 何でそんなこと考えたかというと、吉本興業のあまりに早い処分。
 紳助が暴力沙汰をしたときはもっとチンタラした処分だったし、そもそも解雇されていないのであるから、それと比較すると今回の件、かなり厳しい処遇ではないかと思われる。
 そういうまさにゲスの勘繰りから考えてみると、欽ちゃんは、事件に関係する複雑な利害曼陀羅の中で、自分なりのリスクヘッジをしたのではないか?と考えられないか。そもそも止める気はなく、「解散」ということによって自らの保身を計ったと考えられないか。大勢の人が「解散しないで!」と叫び出すことを初めから予想していなかったか。一度退いて、その上で「戻ってきて!」という世論のようなものを支持基盤として、禊ぎを済ませた顔をして、きれいに復帰する。彼自身のポジションはまったく痛まない。そのままだ。
 欽ちゃんの今回の行為を芸能界における彼一流の保身ととるのか、彼が率いる球団の延命策ととるのか、それは難しいところではあるが、まあ球団の延命策としては、彼自身が辞任すればすむことなので、やはり「保身」なのではないかと思う。
 世の中を仰ぎ見ると「利害関係者がたくさんいるのだから、軽率に『解散』などと言うべきではなかった」という主張が大多数のように思えるが、考えるべきは、「欽ちゃんの保身」という観点と、球団のそれぞれの選手の「雇用」という観点の二つではないかと思う。
 通常の会社であれば、無責任で自己保身を計る指導者の下からは、社員が流出していくものだ(私も日々その恐怖を感じている)。
 解散かどうかは、指導者の保身と選手の流出のトレードオフの中で議論した方がいい。
 さてさて、一難乗り切った欽ちゃん、今後のさらなるお手並み、まさに拝見である。

 まあ、どちらにしても芸能界というところは難しいところなのだと思う。真相はよく分からない(苦笑)