BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 今日も練習、フェラオ・サンダース

 朝一番、恒例によって多摩サイへ練習。友人と一緒に一往復。午後から従兄弟夫婦が遊びに来るので、早めに帰宅(と言っても、私が準備したっていうよりも妻が大変だったってことなのだが。この場を借りて御礼申し上げます)。
 従兄弟は来年一月に挙式予定で、もう入籍は済ませ、一緒に柏に済んでいる。奥様が歯科衛生士なので、歯医者さんの話で盛り上がった。昔、私は親知ラズを抜いたとき、「痛かったら手を挙げて」と先生に言われ、痛くなってまじめに手を挙げたら、「もうちょっとだから我慢してね〜」とあっさり言われた。何もしてくれないのだったら、そもそも「痛かったら手を挙げて」なんて言わなければいいのに……と思った。なまじ期待を持たせると、人間というのは失望の痛手がやたらと大きくなってしまうものだ(苦笑)
 従兄弟が帰った後、ブルーノートへフェラオ・サンダースのライブを聴きに出かける。もちろんセカンド・ステージ。ハネた後もだらだら酒飲んでいられるから、ブルーノートに行くときは、よほどのことがなければ、セカンドを選択することにしているのだ。
 まずは整理券をgetした後で、近くの「てやん亭」で軽くビールを飲む。珍しく予想外にヘビーな話になり、まあ色々あったということにしておこう。関係ないが、てやん亭にはコシノ三姉妹の誰か(誰かは分からない)がきていた。本当にあのまんまのアピアランスだった。
 整理券の番号が若いこともこれあり、サイドにあるソファーの席に座ることができた。まあまあの位置と思われる。シャンパンにデザートを注文(ウェーブのかかったチョコレートの上に愛すやフルーツが乗っているもの。まあまあ美味しい)。

 さて肝心の音の方なのだが、まず一曲目が、John Coltraneの「Giant Steps」だったのが、泣かせた。もうあれは反則なような気がした。実は恥ずかしながら、ここ最近のフェラオ・サンダースの仕事を聞いていないので、どうしてもArchie Sheppとかと一緒なかんじで「拝み系(と言っていいのかどうか分からないが)」のフリージャズの印象(まあColtraneの「アセンション」の印象ってことか)が強いのであるが、割とオーソドックスなかんじであった。とはいえ、フリーの世界を探求していた人が、オーソドックスなことをやると何となく重みがある。オーソドックスというか、観客席との掛け合いもこれあり、芸人的な部分を感じることもこれあり、非常に楽しめるステージングになっていた。
 ふと思ったのだが、以前芸術劇場で聞いたオーネット・コールマンは老境の今になっても、前衛を生きていた気がする。何をもって前衛とするかは色々と難しいところはあるが、「回帰」することではなく、さらなる旅に出ることを前衛と呼ぶのが適当か。でも、オーソドックスなものに戻ることも、人によっては新たな旅なのだと言うこともできるだろうし、多分、表現の初期衝動を初期衝動のままに商業化しないことを前衛と呼んだ方がいいのかもしれないと、今、ふと思った。

 芸というと聞こえがいいし、大方の凡人にとっては「芸」が必要なのだが、「芸」なくとも自らを他人に受け入れてもらえるということが本当の天才のなせる業ということになるのだろう。

 私にはあまり「業」がないような気がする。かなしいことだ。

 そうそう。思い出したのだが、ステージの途中、観客席から手拍子の合いの手が入ったのだが、これが、一拍目と三拍目に手拍子が入る。オフビートのところで入らなかったのは、ちょっと変なかんじだった。しかし、その後の最後の曲ではちゃんとオフビートで合いの手の手拍子が入り、ジャズってかんじになった。
 一拍目と三拍目に手拍子が入ると何か盆踊りみたいだったから、妙におかしかった。