前に書いた通り、今、東浩紀の「動物化するポストモダン2」を読んでいる。まだ読了していないのだが、途中まで読んだかんじで、ちょっと中間の考察をまとめておく。個人的なmemoみたいなものだから、他の人が読んだら多分何だか分からないと思う苦笑
ライトノベルのようなものは、アニメやまんがで表現される新しい「現実」を読者が共有する新しい共同幻想として利用し、物語を組み立てることで成立している。ここで東浩紀は、オタク文化の中核?(と言ってしまっていいのかどうか、私には分からないけれども)であるライトノベルのフォーマットである「まんが・アニメ的リアリズム」として分類している。要するにまんが・アニメ的なキャラクターのデータベースを共有し、そのデータベースを材料として、物語というプロトコルで作者と読者がコミュニケーションをとる、そういうことを言っているわけだ。
しかし、現実には、オタク的な文脈だけではなく、こういう東浩紀が言う「データベース型消費」というのはライトノベルや美少女ゲームだけでないところまで、かなり広範囲に拡散してきているような気がする。
というのも、手嶋龍一「ウルトラダラー」やトマス・ハリス「ハンニバル」(すみません、まだ「ライジング」には手も付けていないのです)といったエンターテインメント小説が、ある種のデータベースを元にして物語を組み立て、そのデータベースを共同幻想として、作者と読者のコミュニケーションのプロトコルの重要なファクターとしていることに気付いたからだ。このデータベースだが、敢えて名付けるとすれば、「高度消費データベース」とでも言えるものだ。具体的に言ってしまえば、ハイクラスなレストラン、車、ファッション(アクセサリー、服)、酒等の各種嗜好品などといったデータベースが、まさに登場人物そっちのけで、読者の前に続々と提示され、その提示が物語を推進する原動力になっていたりするからである。
オタクの消費するデータベースにしても、高感度な消費者(読者)が消費する消費財のデータベースにしても、その双方の消費加減は、東氏が言う「動物化」といった現象にぴったりと当てはまるような気がして成らない。
もうちょっと本書を読み進めつつ、考察を進めたい。この考察の果てには、現代の高度資本主義における消費理論みたいなもの(藁)が打ち立てられるような気、さえする。
そう考えていくと、菊地成孔さえも、ある種のデータベースを具現化する物理的な実態でしかないような気さえする。タグとかリンク集としてのアーティスト、もしくはその作品。
その分析は面白いかも知れない。
ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)
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