BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 本質を考える際に(備忘録)

 物事を考えるとき、その事象において、「何が本質なのか」ということを考えないと全てが無駄になる。自分にとって「本質」というのは何なのだ?と問われたときにどう答えるか。
 自分にとって「本質的なもの」とは、場合場合によって若干の濃淡はあるが、「自らの価値観に従った上で、情報の出し手と受け手が、非対称性なく、同じような立場に立てる状況を作り出す」という観点で考えたとき、自らの行動をどう律していくかということである。ひらたく言ってしまえば、「自らの価値観を壊さない程度に、利害関係人がwin-winになれるような状況を作るために、自分自身がどう行動すればいいのか」ということを切り口に考えたときに見えてくる、状況分析(佐藤優的な「インエリジェンスなのかもしれない)」のことを、「本質を考える」と呼びたいと、今ふと思った。
 人によって見えてくる現実は違うから、「本質」についての見解は人の数だけあるだろう。ただ、私は、今述べた自らが信じる「本質的なもの」に対して愚直でありたい。場当たり的な行動については厳に慎んでいきたい、と思う。まあ、思うだけで「実行」できるかどうかは別の話ではあるが。
 自らの分け前は小さく、そして謙虚に。と言うだけ言ってみる笑