リアル(=現実?)は何によって担保されているのかということを最近よく考える。
例えば、私にとって一番「リアル」なことは、家族(=妻)や友人と一緒にいることだったり、自転車にまたがってひーひー言いながらペダルをこいでいるときだったり、そういうときが「リアル」なんだと思っていたりする。
とはいうものの、小説などを読んだりすることでも、ある種の「リアル」な感覚は追体験できたりするわけで、その「リアル」さって一体何によって担保されているのか、というところが、私の頭の中で堂々巡りしていたりするわけである(苦笑)
本当に私は存在しているのだろうか? 本当は私はいないのではないか? そんなことも思ったりする。
とまあ、何が言いたいのか、自分でも分からなくなってきているが、この複雑な世界の一部しか経験できない自分の存在において、「リアル」であると感じられることじたい、「リアル」なことなのか?というトートロジーも、またもう一つの「リアル」なんだろう。まさに子犬のワルツ状態。
クラインの壷? メビウスの輪?
リアルとメタは、偶然と必然のように、ここでも分かち難く、ハイブリッド化してしまっているようだ。