BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 デスクワーク、「単純」「複雑」

 ほぼ一日デスクワーク。意味の分からない資料作り(笑) それはともかく、意味の分からない仕事をしているときって、本当に能率が悪い。眠くなるし、集中力も切れるし、もうタイヘン。
 帰宅してからは、NHK BSの石ノ森章太郎特集を見てしまうが、最後の「幻魔大戦」(83年の映画版)については、大昔一度見たこともあったので、途中でパス。
 ここ最近、この石ノ森章太郎特集を見ていて思うのは、「単純」と「複雑」のバランスこそが大事なんだ、ということだ。ストーリーは単純、でも主人公の設定や内面は複雑。もしくはストーリーは複雑、でも主人公の設定や内面は単純。こういった組み合わせが、人々に受け入れられやすいフォーマットなんじゃないかという仮説を唐突に思いついた笑
 逆に、複雑な人間は単純な人生を生きるし、単純な人間は複雑な人生を生きる。将棋の「歩」なんて、棋譜の中では複雑に記載される?のかな。逆に、飛車だの角だのは、単純に記載される?のかな。おっとメタファーとしてはあまり良くないか。
 自分としての願望を言えば、「単純」な人格で「単純」な人生を送りたい。ほかの人から見て、私がどういう風に写っているかは知らないが、本人の願望だけで言えばそうだ。もうちょっとパラフレーズしてみるとだな、「複雑な人格は、何のかんの考えるんだが、選び取る選択肢は普通なので、2σの範囲内に収まる」/「単純な人格は、何も考えず、確率変数に自分の人生を委ねる為、3σをはるかに超える珍しい事象に出会いやすい」ということになるか。ただ、何も考えずにサイコロふって自分の人生を決めても、基本的には多くのケースだと2σの範囲内に収まるはずなんだが、サイコロを振り続けると、多分ある種の条件付確率となって、徐々にレアケースに遭遇する確率を上げてしまう、ということはないだろうか? よって、後者の言いっぷりは矛盾をしているが、試行を何度も何度も繰り返すことによって、命題として成立する(気がする)。前者の人々(複雑な人格)の人々だって、当然2σを超える事象に遭遇するケースもあるわけで……。
 わはは、オレは明らかに後者だな。とまあ、そんな思考実験を繰り返すと、先ほどの仮説を発展させていくと……。

「複雑な人格はサイコロを振らないが、単純な人格はサイコロを振る。複雑な人格はごく普通の確率分布の中に収まるが、単純な人格は、サイコロを振り続けることによって、彼が遭遇する事象についてはファットテイルな分布になっていく」
「で、結局、複雑な人格とはいえ、それは普通の人と同じ人生になることが多い。単純な人格は、彼が遭遇する事象がファットテイルな分布になっているため、異常事態に数多く遭遇する」
「物語または登場人物、どっちかが複雑でないと、視聴者や読者に対して何らかのカタルシスを与えることができない」

 こんなこと考えるなんて、オレもつくづく暇だな笑
 ちなみに代表の試合はDVDレコーダに叩き込み中。この日記を書いている今現在、勝敗を知ってしまったので、後で見返す意欲はかなり減ったのだが、週末にでもぱぱっと見ておくか。まあ済んでしまったことは仕方がない。
 18時半にオフィスを出て帰宅。昨日のジョグのせいか、右足ふくらはぎの調子がどうも良くないので、湿布を貼っておく。本当に中年は壊れやすいものだ泣