BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 所有の概念が変わる

 最近の若い人は車も、ブランド品も、何にも買わないのだそうだ。モノにこだわりがなくなってきているというのがどうやら現実らしい。バブルエイジの私であるから、私自身は未だに煩悩に悩まされることが多く困るのだが(笑)、ここ最近、家を建てることを考えていると、モノを持つことが本当にいいのか悪いのかという非常にシンプルな問題で悩むことが多い。
 たとえば家。
 借金とセットでないと変えない家は、本当に心の平安を約束してくれるものなのか? 不動産の価格変動リスクは思っているよりも非常に高いし、人口減の世界を前提とすると、右肩上がりで不動産が上昇するという世界はあり得ないことも明らかだ。
 たとえば車。
 CO2などを考えると、車持つことは環境的にイケてないのも明らかだし、維持費の割には案外走行距離が伸びなかったりする。たまたま駅から徒歩3分くらいのところに住んでいる私からすれば、駐車場探すのが面倒なこともこれあり、電車使って都心に出るほうがぜんぜんお気楽。酒も飲めるし、年間の維持費を考えれば、車持つよりレンタカー&タクシーの方が安いような気もする(試算してはいないが)。
 以前、独身だった頃、自宅の風呂にほとんど入らなかった時期がある。要するにジムで毎日のようにトレーニングをしていたので、自宅の風呂に入る必要がなかったのだ。ジムの風呂は大きくて、気持ちいい。よって水道料金も当時はえらい安くついたものだ。その代わりジムの会費ってのがあったわけだが、頻度高く通っていたから、当時はペイしていたような気がする。逆に子供が生まれてからは、ジムには行けてない。今年で一回退会しておくかと思っている。
 家にしても、車にしても、風呂にしても、今の世の中ではアウトソースが十分に可能なものばかりで、所有することによるリスクをとらなくても、機能だけはしっかりと使い倒すことができる世の中になっているわけで、その方が効率が良かったりする。
 このリセッションの過程の中で、所有の概念が変わる気がする。モノを持たず、持ったとして最低限に留め、いつでも逃げられるように遊牧民的な暮らしを心得るのがいいような気がする。
 モノを買わない若者は多分正しい。
 それで日本経済がマイナス成長になったとしても、結局はマーケッターに踊らされて、ツマラナイものを買ってしまうのがオチなんだから、デフレの時代、キャッシュを持つ人間が強いのは明らかだ。自らの生み出す付加価値以上に消費をすることが、いかに割に合わないことなのかって、アメリカ見ているとよく分かる。
 とはいうものの、家を建てようとしている自分もいるわけで笑 理念的に分かっていることと実際の行動にギャップが開いているように見えるかもしれないけれども、この点については自分なりに結論を出している。
 その結論を別途笑