BearLog PART2

暇な中年の独り言です

真面目、真面目、真面目な真理子さん

聞いて、ヴァイオリンの詩 (文春文庫)

聞いて、ヴァイオリンの詩 (文春文庫)

 個々最近ずっと岩城先生等々、音楽家の書く書物をあさっている、わたくしめではありますが、先日千住文子さんの「千住家の教育白書」を読んだ続きとして、こちらも購入してしまいました。
 一読して思うのは、何と千住真理子さんとは、何と真面目な人なんだろう、ということであります。やはり、この真面目さ、一途さ、ひたむきさ等々、この手の本の読後に毎回思う事なのですが、自分には欠けているものばかり、ということであります。
 自分が芸術家になりきれない理由もここにあるかと思われますwww まあそもそも才能もないのですが。
 それはともかく。
 彼女の(まさに文字通り)セレンディピティみたいなものは、多分、血の滲むような努力(古い表現だな、我ながら)から生まれたものなんだろうなあと納得してしまうだけのひたむきさが、本書からも感じられまする。
 昔、妻から、「あなたは堪え性がないから、芸術家には向かない」と言われた事があるのですが、その「堪え性」というのは、きっと「真面目さ、ひたむきさ」みたいなものと同義だとおもうわけです。
 もう一度、何かにひたむきになってみないと、自分の人生取り返しがつかなくなるのでは?という気にさせられてしまいました。
 とはいえ。
 このようなひたむきさみたいなものが、人によっては「鼻につく」とか「白々しい」と思えてしまう事も、一面の事実ではないでしょうか。私もどちらかというとその類の印象を持つ傾向にある人間だとは思います。しかも、本書に挿入されている写真が、意外と微妙なかんじのものが多く……。
 しかし、であります。ここで踏みとどまって考えてみると、斜に構えたところで、別に何も起こらないということは明らかでもあります。私の好きな言葉に、ケインズ翁の「長期的には、我々は皆死んでいる」という言葉がありますが、「皆死んでしまうから別に何をしても変わらない」と考えるのではなく、「長期的には死んでしまうからこそ、今、それなりに手を打とう」と考えるところが、この言葉のミソでして、長期的には皆死んでしまうから、今ひたむきに頑張るのだ、というのが真理子さんの、いや千住家の皆様の基本的なスタンスで、それってケインズ的なような気もします。だから、「今を生きる」ということになるわけですなあ。

 なんか、ここ最近、毎回そんな思いにとらわれているような気がしますが、そういう年齢になっているということなんでしょうなあ。