BearLog PART2

暇な中年の独り言です

違う世界のことが書いてあるのかと思った

 そうなのだ。
 佐藤優氏は高校の大先輩である。一昔前ではあるが、私は佐藤優大先輩を密かに尊敬していたのだが、今はあまりそうでもない。その心境の変化はちょっとおいておいて、上記の本である。
 佐藤優氏が母校のことについて語っているということらしいので、書店で平積みになっていたこともこれあり、ろくろく立ち読みもせずに買ってみた。
 買ってみて、その内容に驚いたわけである。
 私が浦和高校に在学していたのは、確か1981年から1984年までまでだったと記憶しているのですが(もし私の同期の方がこれを読んでいて、間違いだとするならそう指摘して頂きたいところなのでありますが)、その頃私が体験したであろう「浦高なるもの」と本書で書かれている「浦高なるもの」が同じものとはとても思えないのであった笑
 一つの原因として考えられるのは、もうかれこれ30年も前の自分の高校時代と現状が同じである筈がない、ということ。もう一つの原因が、私が決して優秀な浦高生ではなかったということ。
 そうなのだ。
 本書に書かれているような「浦高の伝統」とか「浦高魂」みたいなところとは、まったくもってかけ離れた自堕落の極みみたいな生活を送っていた私であるから、要するに素晴らしい浦高の伝統なぞ何一つ受け継ぐことができなかったわけで、だからこそ「浦高ってそんなに凄いところなんだ」と本書を読んで、そうだったのか、と思わず膝を打つ体たらくなんである。
 とても私が卒業した高校とは思えない素晴らしさだ。
 要するに自分は本当に高校の三年間という貴重な時間を無駄にしたんだなあと、素直に残念に思う。
 確かに物理のレポートもあったけど、何か適当に書いてた気がする。だからいつも評価は低かった。勉強は、好きな数学以外はほとんどしなかったから、2とか3とかしかとったことないし、学内の実力テストでは200番〜300番くらいが巡航速度で、ひどいときは400番台というのもあったと思う。当時の浦高は一学年確か450人で、400番台を生徒の間では「よんたて」と呼んでいたような記憶が、今の今で蘇った苦笑
 唯一良かったのは、とある高校生対象の絵画コンクールで文部大臣賞(まあ一等賞だな)をとれたことくらい。これも選択科目だった美術の夏休みの宿題で描かされた油絵がたまたま当たった、みたいなもので、製作時間は多分1時間くらいだったと思う。もともと絵を描くのは大好きだったのだが、別に専門に練習したわけでもないし、そのために何か努力したことなんかない。唯一あるとすれば、イーゼル立てるのが面倒だったので、畳の上で描くときに汚れないように新聞紙を丁重に引いたことくらいで、母親から「あんた何やってんの?」と奇異な目で見られたのを唐突に思い出す。
 授賞式のときに隣に座っていた二等の女の子が「いいなあ、いいなあ」とずっと呟いていたのを奇異な感じで聞いていたものだ。こんなの誰でもとれるじゃん、的な感じである。
 はっきり言って、浦高で教わったことは自分としてはあんまりない。
 受験勉強は一浪したときにお世話になった駿台予備学校で全て教わったと思う。お陰で大学には一応きちんと入ることが出来たから、きっとそうだ。浪人時代は勉強したような気がするが、高校時代は勉強は数学以外はやったことない。運動もやってないし、文化的な活動もやっていない。要は帰宅部だな。
 適当に朝来て(来ないときも結構あった)、授業中居眠りして、授業終わったら帰っていた。家では本読んでぼおっとしていた。たまには映画見に行った、てか、しょっちゅう見に行ってた。ときには授業サボって。
 だから、本書に書かれているような浦高が現実にあるような気がしない。確かに新入生歓迎マラソンは走ったし、古河マラソンも走った。2年のときだけは完走したけど、1年と3年のときは大した準備もしなかったので、途中で時間切れになって帰った。
 要するに劣等生だったわけだ。ダメダメダメな高校生だったわけだ。クズみたいなもんだ。クズみたいなもんだってところは今も大して変わらないけど。
 で、今思った。
 浦高の偉大さは、結局こんなクズでも3年間で卒業証書をくれたことだ。要するに、全員が全員、本書のようなジュージツした高校生活を送っているわけではなく、私のようなダメダメダメダメな人間でさえも、とりあえずは末席に座らせてくれた、その懐の深さ、というところが偉大なんだろうなあ、と今しみじみと思う。
 そういう徹底的にリベラル(どんな生徒でも受け入れる)なところ、そこは良い高校だったんじゃないかなあと僭越にも思うわけである。