BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 ワールドカップ

 10時からミーティング、11時からもミーティングであっという間にお昼。午後は来客。残務整理を21時くらいまでしてから帰宅する。
 関係ないけど、ワールドカップ開幕が近い。そこでふと思うのは、人間の身体感覚の変容というか、欠落というか、そういったところ。
 何が言いたいかと言うと、人間はすごく逆立ちした方法で身体感覚を再確認しているのではないかということ。
 ここしばらく、私は自分自身の身体感覚を維持するべく自転車に乗ったりジムでトレーニングをしていたりする。押井守は「イノセンス創作ノート 人形・建築・身体の旅+対談」で、人間の身体感覚を取り戻すために、動物の体(犬)に頼っていることを言っている。無機物化する人間の体、それに対抗するための「犬」の体。
 とはいえ、ワールドカップというところは、選ばれた選手の美技を見ることによって自らの身体感覚を取り戻す場なのではないかと思う。サポーターが激しく応援するのも、サッカー選手の優雅な体の動きを見ることによって、自らの身体感覚を再構築し、その感覚を表出させるために「応援」という行為を行う。そんな建て付けだ。
 しかし、その建て付けが逆立ちしているように思えるのだ。何と言っても、一流のサッカー選手のような優雅でしなやかで素早い動きは常人には不可能だから。常人には不可能な動きを見て、そこで身体感覚を取り戻すというのは、ちょっと逆立ちしているような気がしたのだ。

 無機化する体と電磁的に再構築された(要はテレビに映るってことだ)サッカー選手の体は好対照を成す。そんなところで人間は有機体としてのバランスをとっているのか?!